81歳・現役医師が体験した激動の時代。「アルバイトで子守代を捻出したことも…」
81歳を過ぎた今も、現役の医師として働き続けている天野惠子さん。3人の娘さんたちも独立し、現在はひとり暮らし。2匹の猫たちと充実した人生を送っています。しかし、天野先生が医師として働き始めた頃は、子育てをしながら女性が働くのは珍しい時代。どのように乗り越えてきたのでしょうか。天野先生にお話を伺いました。
内科医歴・58年。81歳現役医師が歩んできたキャリア
――81歳を過ぎた現在も精力的に活動されている天野先生ですが、最新著書『81歳、現役女医の転ばぬ先の知恵』(世界文化社刊)では、内科医としての58年を“履歴書”として紹介されています。どんなキャリアを歩まれてきたのでしょうか。 天野惠子先生(以下、天野):高校卒業後、東京大学理科二類に進学しました(当時は理科三類がなく、理科二類から選抜試験を受けて医学部へ)。大学で6年間医学を修めたあと、26歳でアメリカへ留学し、そのときに同僚と結婚したんです。翌年にはカナダへ行き、医師としてのキャリアを海外で積みました。 帰国後に、長女と二女を出産し、3年間ほどは育児に専念。しかし、アメリカやカナダの先端医療を身につけたことで、とくに焦りなどはありませんでしたね。二女を出産した翌年1974年には、念願だった東大医学部付属病院の医局員となりました。 ――男性社会とされていた医学界のなかで、女性が医師として働くことは大変ではありませんでしたか? 天野:そうですね。私たちの時代は、女性が大学に進学する割合がまだ3%程度だったため、医学部の女性は本当に少数派。医学界は男性中心で、女性にはほとんど期待が寄せられず、仕事もなかなか与えられませんでした。 子育てをしながら働くことに理解を得るにはまだ早すぎました。しかも、医局員になっても、最初は無給。当時はよく「天野先生にはご主人がいるから…」なんて言われましたよ。有給になるのもいちばん最後という有様でしたし。 ただ、それからも医師として働きつづけました。そして、アメリカでの経験を生かして20年ほど前に私の呼びかけによって日本で初めての「女性外来」がスタートしたんです。現在は、週に2日女性外来を担当して、全国から訪れる患者さんを診ています。