Bリーグ初代王者に栃木を導いたレジェンド田臥勇太のプロ意識
川崎のPG篠山が田臥をこう評した。 「田臥さんに“まだまだ甘いよ”と言われているようなゲームだった」 そして、こう続けた。 「オフェンスをピック&ロールからシフトチェンジをすべきだった。判断ミス。勝負どころで僕はパスミスをしている。田臥さんは、点数につながるプレーしている。その質の差です」 ミスター栃木ブレックス。 田臥は、NBAで言うフランチャイズプレーヤーだ。2008年に能代工時代の恩師である加藤三彦氏が監督に就任した当時、JBLの「リンク栃木ブレックス」に入団した。NBAとの再契約を勝ち取るために海外チームでプレーを続けていた田臥にとって6年ぶりの国内復帰だった。以来、栃木一筋。田臥がスポンサーも連れてきて、JBLの中でも、企業の後ろ盾を持たず、地域密着に活路を見出す「プロチーム」の創成期を支えた。 過去に故障に悩まされ数字が極端に落ちて限界説を囁かれた時期もあった。だが、Bリーグの元年に36歳のレジェンドは、途中ケガをしながらも、67試合の長丁場を戦いぬきファイナルで27分40秒のプレータイム。輝いた。 「プロ意識というか、責任、自覚を感じざるを得なかった」と言う。 プロチームの戦略的な勝利だった。 川崎の得点王であるニック・ファジーカスをロシターがマンマークで抑えた。人数をかければ、そこにスペースができて、ピンチが増える。だからロシターは「俺が一人で止めるから寄らなくていい」と合図した。 ファジーカスは、前半はわずか8得点。川崎は本来の形でゲームを進めることができなかった。 1試合の平均失点はリーグ最少。その組織的ディフェンスが強みの栃木は、特にディナイといわれるテクニックが素晴らしく、ボールに絡まないプレーヤーに対してのディフェンスでパスコースを消し、高い位置でボールを持たせて、相手のポイントゲッターの一人、辻直人のスリーポイントをも封じこんだ。ディフェンスからオフェンスへのトランジションがうまく機能したため、川崎は最後走り負けていた。最後の最後に集中力に欠けてミスが生まれたのも、栃木のディフェンスのプレッシャーと運動量に消耗したためだ。 オールジャパンに続いて、またしても栃木に苦杯を舐めた川崎の北HCが言った。 「ひとつひとつのプレーの精度の違いが勝敗を分けた。栃木の強みを出させて、こちらは、やりたいことをやらせてもらえなかった」