定員割れの県立高「定員120人で志願者68人、倍率は0.57倍」甲子園出場校も消えていく…高校野球の厳しい現実「校名が消える前に実現した69年ぶり“最後の試合”」
11月3日、木曽山脈のふもとの長野県伊那ニッパツスタジアムで、とある親善試合が行われた。地元の公立校、伊那北高校野球部が招待したのは、山形県立新庄北高校野球部。新庄北は、遠路はるばる信州の地へやってきたわけだが、この試合の背景には69年の時を超えたロマンと、両校が対峙する時代の変化がある。 【貴重写真】「69年前はこんなに生徒が多かった」夏の甲子園での対戦写真(発掘写真)&ついに部員12人「消える」ユニフォームの校名まですべて見る じつはこの両校、1955(昭和30)年の第37回全国高等学校野球選手権大会1回戦で対戦した過去があるのだ。このとき、両校ともに甲子園初出場。当時は都道府県ごとの代表ではなく、地方ごとの代表だったため伊那北は信越代表、新庄北は東北代表として甲子園に出場した。試合は、延長11回の末、伊那北が1対0で勝利している。
69年前の“2年生エース”が投げた
この両校が甲子園ではないにせよ、再度試合を行ったのには深いワケがある。 現在、伊那北は創立104年、新庄北は124年を迎える伝統校だ。伊那北は1955年以降も夏の甲子園に2回、新庄北も1回出場している。当初、伊那北創立100周年記念として2020年春に対戦が予定されていたが、コロナ禍の影響で中止に。コロナが落ち着いたため伊那北野球部創部100周年と銘打ち、改めて開催されたのが今回の親善試合なのだ。 「OBとして、開催されて嬉しいです。当時はドロップとシュート、それとストレートを軸に投げていました。あの頃は球数なんて考えてないですから、無我夢中で投げていましたよ」 こう語るのは、伊那北野球部後援会長の大槻丞司氏だ。86歳を迎えた大槻氏こそ、甲子園初出場時の伊那北の2年生エースである。この日、始球式に登板した大槻氏は、ホームベース付近でワンバウンドしつつも見事に空振りを奪い、色褪せぬエースの貫禄を後輩たちに示したのだった。
「私の親父は甲子園の試合を覚えていて…」
始球式の打席に立ったのは新庄北野球部OB会長の矢口雅彦氏(57歳)。矢口氏は甲子園出場時の世代ではないが、「北高野球部OBとして携われて嬉しい。感慨深いですね」と話す。 こうしたOBや現役選手の保護者が詰めかけ、熱視線を送る中、試合は伊那北が序盤から確実にランナーを進め、得点を重ねて9対1で勝利。69年ぶりの再戦で、伊那北は対戦成績を2勝に伸ばし、新庄北は先輩たちの雪辱を果たすことはできなかった。 敗れた新庄北の八鍬強太監督(35歳)は試合後、こう振り返る。ちなみに、八鍬監督も新庄北野球部OBである。 「甲子園出場経験がある伝統校という話はOBのみなさんから聞きますが、今日こうして伊那北さんと試合ができたことで、より生徒たちは学校に対する思いが高ぶったのかなと。指導者も子どもたちも、非常に貴重な経験をさせてもらいました」 一方、勝利した伊那北の田中学歩監督(39歳)は次のように語った。 「楽しかったです。甲子園に出ないと繋がらないご縁ですから、貴重だったと思います。僕も伊那北野球部OBで甲子園を目指していたので、こうした機会をいただけて嬉しいですね」 スタンドでは、伊那北から明治大学野球部、そして社会人の三協精機からインターコンチネンタルカップ日本代表にまで選ばれた鈴木一比古氏(76歳)も観戦していた。鈴木氏は明治大では星野仙一とともにプレーし、地元のテレビ局で長年高校野球解説も務めるなど、伊那北野球部が誇るレジェンドである。 「私は甲子園に出場した代から10くらい離れているんですが、私の親父は伊那北と新庄北の試合を覚えていたそうです。親父は『あのときは出場校の中でも弱いほうのチーム同士である伊那北と新庄北がたまたま当たってしまった』とよく冗談を言っていました。ただ、こうして再戦を見られるのはOBとしても、喜びはひとしおです。私立に負けないように頑張ってほしいですね」(鈴木氏)
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