Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

時空を超え愛される「墓の町」起源は不明、墓石2万基の圧倒的眺め 「にぎやかで楽しい」と言われる理由

配信

  • この記事についてツイート
  • この記事についてシェア
withnews

墓地は「極楽」に向かって伸びた?

この時に見た光景は、私の記憶に深く刻まれました。自宅に帰ってから、いったいどのような場所なのかと調べてみましたが、どうも謎に包まれているようなのです。 いつ頃、どのようにして生まれたのか。検索しても「発生起源は不明」とあるだけで、詳細を見つけることができません。そこで花見潟墓地の裏手に住み、墓石や灯籠をつくる仕事に携わっていたという岩田弘さん(84)に、詳しくお話を伺いました。 日本の仏教においては、極楽浄土は西方にあるという「西方浄土」の考え方を取る宗派が多くあります。花見潟墓地の正面入口とされている東端には、墓地と住宅地とを隔てるように化粧川という川が流れています。川には橋が架かっていて、墓地に行くにはこの橋を渡らなければなりません。 つまり、化粧川が「現世」と「彼岸」とをわける、いわば「三途の川」になっているとも考えられます。橋を越えた西側が浄土。正面入口のある東から西へ、すなわち浄土に向かって墓地が形成されていったのではないか――。そう解釈すると、墓地をつくるのに適した地形と言えるかもしれません。 墓地の中心部付近に「赤碕殿塚(あかさきとのづか)」という、ひときわ立派な石塔があります。これは鎌倉時代、後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を企てた「元弘(げんこう)の乱」の戦の一つ「船上山の戦い(1333年)」で、後醍醐天皇と戦った武将・赤碕氏を供養した塚です。 墓地が東から西へと広がっていったとするならば、1333(元弘3/正慶2)年頃には、現在の花見潟墓地の中ほどまで進出していたことになります。とすると、それ以前、つまり平安時代から奈良時代に起源があるのではないか――。はっきりとしたことはわからないものの、岩田さんのお話からそんなことが推測でき、少しだけ謎が解けました。

にぎやかで楽しい、誇れるお墓

「お墓は怖いもの」という感覚を持つ人も多いと思います。ですが、琴浦町赤碕に住む人にとって墓地は、身近で大切な存在のようです。 岩田さんは幼い頃、花見潟墓地で肝試しをして遊んだそうです。その内容は、墓地入口にあるお地蔵さん前に子供たちが何十人も集まり、墓地の中道を約300メートル進み、折り返し帰って来るというもの。それが今でも思い出す、子供時代の楽しい思い出だと、笑いながら話して下さいました。 そして意外なことに「花見潟墓地はにぎやかな場所だ」とおっしゃるのです。「墓は何も言わないけれど、ご先祖さんや身近な人がたくさん眠っておられて、みんなでにぎやかに話をしているように感じられる」。この言葉はとても印象的でした。こんな気持ちでお墓と向き合っていれば、死すら恐ろしいものではなくなるかもしれません。 にぎやかに感じられるのは、海に近いことも要因に挙げられると思います。常に聞こえる波音が、たくさんの人の話し声に聞こえると言われれば、何だかそう感じられてくるのです。 それに加えて、お墓を大切に思う人が多いのでしょう。墓地の敷地内にはいつも、誰かしら人がいるそうです。少なくとも「静かで寂しい場所」というイメージは当てはまりません。 近年、花見潟墓地のお盆の光景が少しずつ知られるようになり、私のようにわざわざ遠くから訪れる人も少なくありません。地元の方々にとって、花見潟墓地は怖いものではなく、誇れる大事な場所になっているのだと思います。

【関連記事】