タレント、プロスケーター・渡部絵美 和製ジャネット・リンに続く伊藤みどり・荒川静香・浅田真央…「私から半世紀かけてと思うと感激」
和製ジャネット・リンの微笑みは今も変わっていない。みんながテレビにくぎ付けになって応援していた、1976年インスブルック、80年レークプラシッドの両冬季オリンピック。日本人フィギュアスケーターの、アイドルとしての草分けだった。 「札幌五輪のジャネット・リンさんをきっかけに日本でフィギュア人気が沸騰し、私も余韻を受け継ぐ形でみなさんに応援していただきました。ジャネット・リンさんは本当に可愛くて。演技の途中で尻もちをついたけど、驚いた表情のあとも微笑みは絶やさず芸術点は6点がつきました」 札幌五輪は72年。12歳で頭角を現したのはちょうどそのころだ。全日本フィギュアスケートジュニア選手権優勝。全日本フィギュアスケート選手権は72年に初優勝すると79年まで8連覇した。 「80年生まれの女の子の名前は〝絵美〟が一番多かったほど注目していただけました。でも…」 2つの五輪、16歳で挑んだインスブルックは13位、4年後のレークプラシッドは6位。 「プレッシャーを克服するのが大変でした。メダルが取れなかったらどうしようと常に感じて。期待されて出る大会で結果を出すのは難しかったです」 世界での最高順位は79年世界フィギュア選手権(ウィーン)3位。日本の女子選手初の世界選手権メダルだった。80年の同ドルトムント4位のあと引退。優勝はなかったが、活躍は後輩たちに夢と希望を与えた。 「私のあとに出てきたのが伊藤みどりさん。10歳離れていますが、彼女の全日本ジュニア優勝が80年。全日本選手権は84年から8連覇。フィギュア人気が続いてくれました」 伊藤は89年に世界選手権(パリ)を制したが五輪は92年アルベールビル2位が最高。五輪で待望の金は2006年トリノの荒川静香。そして天才少女が現れる。浅田真央はトリノ出場こそ年齢制限のためかなわなかったが、世界選手権は08年ヨーテボリ、10年トリノ、14年さいたまと3度優勝。ただ、五輪は10年バンクーバーの2位が最高だった。 「バンクーバーの優勝は韓国のキム・ヨナ(金妍兒)さん。なんで同世代にこんな2人がいるのかって思いました。それだけアジアが一体になっていましたね。真っ白でピュアな真央ちゃんが巻き起こしたフィギュアブームは素晴らしかった」