Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

『生き地獄』…傷跡と共に”経験した戦争”を語り継ぐ99歳の元兵士【戦後75年の記憶】

配信

  • この記事についてツイート
  • この記事についてシェア
関西テレビ

滋賀県に住む山本栄策さん。 99歳の今でも、戦争の記憶を残し続けています。

【山本栄策さん(99)】 「ああ、これね、重機関銃。これはよう当たった」

1944年、大学生だった山本さんは学徒動員で陸軍に入隊。 異国の地で、死と隣合わせの日々を過ごしました。

山本さんが送られたのは、日本から4000キロ以上離れたビルマ、現在のミャンマーでした。 日本軍は、連合国が中国へ軍事物資を送っていた輸送路を遮断するためビルマを占領しましたが、山本さんが出征した1944年には敗色が濃くなっていました。

山本さんが所属する部隊は、物資の輸送路確保を狙う中国軍と対峙するため、中国との国境付近へ移動。野営中に敵の戦闘機に攻撃されたのが、山本さんにとって初めての戦闘でした。

【山本栄策さん(99)】 「砲弾の破片が頭に食い込んでいる人がいましてね。その人が、山本、ワシを殺せって言ってるわけですわ」

「本当に死んでる人もあるし、苦しみで叫んでいる人もあるし、そこら血だるまですわ。これが地獄やな。生き地獄やなと初めて思いましたね」

初めての戦闘は、戦争が生き地獄だと知った瞬間でした。 ほどなくして、20人ほどの部隊で中国軍との戦闘にあたりましたが、生き残ったのは、山本さんただ1人。それでも、戦闘の日々が終わることはありませんでした。 【山本栄策さん(99)】 「たこつぼ(地中に隠れる穴)を掘るわけですね。たこつぼの掘り方の足らん人は、敵の戦車が10トンくらいの戦車があるわけです」 「踏み殺される瞬間の声っていうのは、なんとも言えないですね。断末魔いいますか、声ですな。その声が耳に残ってますわ。まだね」

山本さんは、終戦の3日前に敵の戦闘機に足を撃たれ、運ばれた病院で終戦を迎えました。

敗戦に驚きはありませんでした。

【山本栄策さん(99)】 「撃たれても傷しても治してもらう医療品はないし、第一食べるもんさえ補給してくれない。弾も補給がないもんですから、撃つなって命令が。敵が目の前に来たら狙撃せえって。これは戦争にならんやないかということをはじめから思てましたな」

【関連記事】