“死にたい”男子と“マスコット扱い”に悩む女子……伝わりづらい切実な悩みを描いた創作漫画が話題
褒め言葉として使われがちな、「かわいい」や「かっこいい」という言葉。しかし、その意味するところはさまざまで、人によっては「レッテル」として機能し、自意識との乖離に悩まされることになる。一方で、「死にたい」という言葉も、さまざまなニュアンスで発される。軽々しく口にしていいものではないが、実際には挨拶のように、深い意味なく交わされることもあり、何気なく発されたように見えて、実は当人にとっては切実な思いが込められていたりもする。 そんな言葉のすれ違いを起点に、レッテル貼りの問題や死生観を問う創作漫画『ぬいぐるみ男子がマスコットみたいな女子と出会う話』が6月14日、Twitter上で公開され、話題を呼んでいる。 漠然と「死にたい」と願う男子学生・北城岬。共感も肯定も得られず、人に打ち明けることはやめようと考える一方で、高校進学を機に、自分が死んだ時に泣いてくれる彼女を探すため、吹奏楽部に入部する。そこで見た目や言動が“マスコットすぎる”女子学生・野々楓と出会う。あまりに隙だらけの楓に岬はつい心を許し、うっかり自分の願望を口にしてしまい――。 作者は働きながら連載デビューを目指して、日々活動を続けている古河コビーさん(@furuCoby)。自身の様々な感情と葛藤しながら、作り上げられた本作について、話を聞いた。(望月悠木) ■生きる意味を考えていた小学校時代 ――『ぬいぐるみ男子がマスコットみたいな女子と出会う話』はどのように作り上げられたのですか? 古河:「担当編集さんについてもらおう!」というモチベーションで活動しており、コロナ禍で中止になっていたコミティアの出張編集部が再開することを知り、「何か作品を作らねば」と思っていました。ただ、コミティア開催まで時間がないため、「キャラを1から作るより、知り合いをモデルにしたほうが早い」「高校の友人をモデルに描いてみよう」と決めました。 ――登場人物にはモデルがいたのですね。 古河:はい。その後、キャラ作りの参考のために友人に電話し、高校時代の話に花咲かせていた時、ふと「高校時代、私ってマスコットだったよね」と言われました。ずっと「マスコットみたいな子だな」とは思っていたのですが、まさか本人が自覚していたことには驚きました。そこからマスコット扱いされることに悩むヒロイン像を作り上げていきました。 ――「死にたい」という願望が軸になっていますが、テーマはどのように決めたのですか? 古河:いじめアンケートの「死にたい」という項目に丸をつけて先生に呼び出されたシーンは、実は小学生の時の実体験です。特段嫌なことがあって本気で死にたがっているというより、「どうせ終わりが来るのに生きるって無駄じゃない?」ということを常に考えている子どもでした。みんなも同じような考えだと思っていたので、呼び出されて心配された時は面食らいましたね。それ以来、「死にたい」とは人に言わないようにしていました。ですが、「誰かに聞いてほしい」という気持ちもあって漫画にしました。 ――死を常に考えていたのですね。 古河:そうですね。小学生の時に上級生が放火に巻き込まれて亡くなったこと、高校生の時に母校の小学校で給食時アレルギーで死者が出たこと、日々の凄惨なニュースなどが「死」を常に考えるキッカケになったのだと思います。いつ死ぬかわからない怖さに怯えていました。 ■キャラを演じることへの葛藤 ――死というテーマだけでなく、「キャラを演じなければ承認されない」という思春期特有の悩みも描かれていました。“高校生らしい”登場人物を作り上げる際、どのような点を意識しましたか? 古河:高校生になって、中学以前とは違う自分を演じたところ、生きやすくなったという経験があります。その後も人や場所によって態度を変えながら生きてきました。ですので、高校時代にキャラから脱したかった友人と、キャラを演じていた自分をモデルに、思春期の学生をリアルに描こうと努めました。 ――自身の内面と嫌というほど向き合って完成した作品なんですね。描き終えたことで心境の変化などあったのでは? 古河:本作を描く前までは、投稿先の雑誌に合わせようと努力し、自分を出さない漫画ばかり描いていました。ですが、「それでは自分も読者もつまらないよな」「本気で漫画家を目指すなら自分のリアルな感情を一度描いてみよう」と挑戦しました。未熟な作品ですが、「初めて自分のことを描けた」という達成感もあり、なにより読者のみなさんから「面白かった」と言ってもらえたことが、とても嬉しかったです。 また、リアルな負の感情を描くことは精神が削れますが、「自分にはこのスタイルが合っているかもしれない」という発見もありました。今作以降の作品は「あの時感じたあの感情」をテーマに描くようにしています。制作中は辛くなり、泣きながら描くこともありますが、自分を解放できるのは楽しいです。