世界注目の哲学者「AIの内部は回路と電流だけ」…全知全能AIは「知能がなく思考もしていない」と断言する理由
■本当の人生の意義とは「道徳的進歩」にある では、本当の人生の意義とは何でしょうか。それは「道徳的進歩」にあると言えます。未来に向かって道徳的な進歩を目指し、一つのゴールにとどまることなく、常により良い存在へと自らを高めていく。そのために、この宇宙に人間が存在していると私は信じています。 例えばパンデミックを機に、人類はまた一歩、道徳的進歩を果たしました。マスクの着用などが、自分だけでなく、他者の命を守ることができる。それが義務であるという「道徳的事実」を認識しました。近代の奴隷制の廃止、最近のMe Too運動など、人類の歴史は、新たな「道徳的事実」を見つけてきた歴史です。これが、より良い人間になろうとする道徳的進歩なのです。 問題は、道徳が空気と似ていることです。不可欠であるにもかかわらず、存在が目に見えず、忘れられがちです。道徳や倫理観を放っておけば、澱(よど)み、質が低下します。例えば、第二次世界大戦後、世界は「二度と戦争をしてはいけない」という道徳的事実を見つけたはずでした。平和を維持するために、国連も設立しました。しかし、次第に平和が当たり前になり、手入れを怠り、劣化させてしまいました。その証拠に今日、さまざまな戦禍が起き、国連も手に負えなくなっています。 道徳的進歩に重きをおかず、目先の利益にとらわれる思考は、あなたの人生と世界を破壊します。ガザやウクライナで起きていることは、中国と日本との間にも起こりうるでしょう。ついこの間も、中国軍の情報収集機が日本の領空を侵犯しました。戦争は日本にとっても目と鼻の先に近づいているかもしれません。 ■古き良き日本企業には道徳的基盤の記憶がある では、どうすれば戦争を防ぐことができるのでしょうか。軍備の拡大だけでは不十分です。やはり人類が道徳的に進歩し続けるしかないのです。 道徳の話をすると、批判が聞こえてきそうです。気候変動や貧富の格差といった差し迫った危機に、道徳では太刀打ちできないという批判。これらの危機は、資本主義の失敗にあるという資本主義批判――どちらの批判も私は誤りだと考えます。 私が提唱するのは、資本主義に道徳を結びつける「倫理資本主義」です。これは、資本主義を正確に実行しながら、道徳的進歩をも生み出せるものです。資本主義と道徳的進歩はたしかに両極端ではありますが、どちらも機能させないといけないものだと考えています。資本主義と道徳の矛盾した関係において、まずどちらか一方を主(しゅ)として選んでもうまくいきません。一方が他方を説得することは不可能だからです。はじめから中間に妥協点を見つける必要があるのです。 「倫理資本主義」を目指すにあたり、私が大きな期待を寄せているのが、日本です。日本経済には、今日に至っても道徳的基盤の記憶が残されています。道徳的に良い行いが経済的にとても強力であることを日本は認識している。これは大きなアドバンテージです。日本も今、新たな道徳的概念を強く欲しています。特に保守的な、古き良き日本の大企業です。彼らは改革の必要性に気づき始めており、心の準備ができていると私は見ています。 一方で日本がわずかに不利な点もあります。それは道徳的進歩のいくつかのステップが、いまだに踏まれていないことです。例えばジェンダー間の格差。これは大きな問題ですし、年功序列も複雑な問題です。均質的な日本で多様性の受容が進まないことや同調圧力が根強いことは、均質的なAIが私たちを凍結させるのと同じように、進歩を妨げかねません。日本が築き上げてきた伝統を壊すことなく、うまく解決される必要があるでしょう。 倫理資本主義は、「どうすれば人類は真のユートピアに到達することができるのか」について、長く深い思考の旅を経てたどり着いた、私なりの回答です。ぜひ一緒に、私たちがより良く生きることを可能にする新たな価値観を構築できればと願っています。 ※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年10月18日号)の一部を再編集したものです。 ---------- マルクス・ガブリエル(まるくす・がぶりえる) 哲学者 1980年生まれ。史上最年少の29歳で、200年以上の伝統を誇るボン大学の正教授に就任。西洋哲学の伝統に根ざしつつ、「新しい実在論」を提唱して世界的に注目される。著書『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ)は世界中でベストセラーとなった。さらに「新実存主義」、「新しい啓蒙」と次々に新たな概念を語る。NHKEテレ『欲望の時代の哲学』等にも出演。日本向け書き下ろし『倫理資本主義の時代』(ハヤカワ新書)が好評発売中。 ----------
哲学者 マルクス・ガブリエル 取材・構成=桂 ゆりこ 撮影=門間新弥