15年ぶりのジャイアンツ帰還! 桑田コーチに期待したいこと
ジャイアンツの一軍投手チーフコーチ補佐に、桑田真澄さんの就任が発表された。 自身が恩師と仰ぐ故・藤田元司氏が背負った73を背負うことになり、「藤田さんに恥じないように、指導者としてもエースになれるようにやっていきたい」と語った。 待ちに待ったレジェンドOBの初入閣に、歓喜のG党はもちろん、ジャイアンツOBやプロ野球関係者から期待の声が次々と上がり、一時ネットはお祭り状態に。 桑田コーチが現役を引退したのは2008年。若い世代には、Mattの父親として認識されているかもしれないが、選手時代は強烈なカリスマ性がある投手だった。 1985年のドラフト1位でジャイアンツに入団すると、抜群のコントロールと投球術を武器に高卒1年目から1軍デビュー。2年目には15勝を挙げて最優秀防御率のタイトルを獲得して沢村賞に輝き、翌年には球団史上最年少となる20歳0か月で開幕投手を務めた。 その後も斎藤雅樹氏、槙原寛己氏と共に“三本柱”としてジャイアンツの投手陣を引っ張り、勝利した方が優勝となる1994年の10.8決戦では2人の後を受けて登板。最後を締めて見事胴上げ投手になった際、最後の打者を大きなカーブで三振に仕留め、クルッと回ってのガッツポーズは多くのファンの脳裏に刻まれているはずだ。 その後、右肘を負傷してトミー・ジョン手術を受ける(復帰登板でプレートに右肘をつけた儀式も名シーン)などしたが、最優秀防御率2回、最多奪三振1回、最高勝率1回のタイトルを獲得。1994年にはMVPにも選ばれ、21年間のジャイアンツ在籍で通算173勝を挙げている。 プロ入り前は清原和博氏とのKKコンビで甲子園を席巻し、戦後最多の甲子園通算20勝を記録。ジャイアンツ退団後の2007年にはピッツバーグ・パイレーツでメジャーのマウンドにも登っている。 2008年の現役引退後は解説者や評論家を務め、現役時から定評のあった野球理論を披露するかたわら、2009年には早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に合格し、首席で修了。修士論文「野球道の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」は最優秀論文賞に加え、学術的に価値の高いものに送られる濱野賞を受賞した。 2013年~2014年の2年間は、東京大学の硬式野球部で特別コーチを務め、2016年には息子の真樹さんが所属したBCリーグ信濃グランセローズで臨時コーチに就任。NPB他球団からのオファーはあったとされるが、かつて「ジャイアンツでユニフォームを着られるのがベスト」と語っていた通り、これまでプロ野球のユニフォームを着ることはなかった。