千葉県の古豪、昭和学院女子バスケ部を率いる鈴木親光コーチ「大黒柱一本ではなく、柱をみんなで作っていく」
「いきなり伝統ある学校を見ることになり、毎日が大変でした」
文=佐保めぐみ 写真=野口岳彦 昭和学院女子バスケットボール部は、今年でウインターカップ13年連続、43回目の出場を果たす千葉県の古豪だ。日本代表にも名を連ねている赤穂さくら、ひまわり姉妹を輩出するなど、高校女子バスケ界でも歴史ある強豪校の一つだが、鈴木親光コーチは「ウチは高校バスケ界でいうと中小企業」と表現する。昭和学院を率いて30年ほどになる鈴木コーチに、これまでの経歴や今年のチームの特徴を語ってもらった。 ──バスケット・カウントでは初めての取材になります。まず、鈴木コーチの経歴を教えてください。 千葉県出身で中学までは千葉にいました。高校は福井の北陸高校に行き、日本体育大学に入りました。日体大では2軍でしたが、卒業後は社会人の関東実業団チームに所属して、働きながらプレーしていました。社会人プレーヤーとして2シーズン活動した後に、指導者として昭和学院に来ました。 ──大学卒業後も選手として活動していたとのことですが、いつ頃から指導者を目指すようになったのでしょうか? 中学生の時からずっと指導者になりたいと思っていたので、日体大に進学して教職を取りました。その後、昭和学院でチャンスをいただくことになりました。 ──昭和学院は1979年に全国優勝を果たしていますが、鈴木コーチが来た時にはすでに強豪でしたか? そうですね。私は「弱いチームを強くしていく」という理想を描いていたんですが、いきなり伝統ある学校を見ることになって、プレッシャーというか毎日が戦いというか、もう大変でしたね。それにしょっちゅう負けていたので、いろんな意味で世間では3年ぐらいで終わるんじゃないかと噂されていたんですよ。そう言われるのも悔しいので、自分なりに強化するべき部分などを考えて、とりあえず無我夢中でやってきました。 私が指揮を執るようになってからは全国優勝をしていなくて、全国2位が最高です。 大変なことも多かったですが、その中でも全国のいろいろな強豪校の先輩方に助けていただいて、相談に乗ってもらいました。桜花学園の井上眞一先生、そして足羽高校の林慎一郎先生は北陸高校と日体大の直々の先輩なので、何かつらいことがあれば助けてくれましたね。あとは聖カタリナ女子を指導していた一色建志先生だったり、いろいろな先輩方の背中を追いかけながら、あこがれを持ってやらせてもらっていました。先輩方に追いつけ追い越せじゃないですけど、必死に追いかけて来ました。