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豪雨で三重苦の熊本「球磨焼酎」を救え! 「飲んで」「買って」「寄付して」応援しよう

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 日本で見つかった最古の「焼酎」の文字は、1559(永禄2)年に残された木札に書かれているという。熊本県人吉・球磨地域(人吉市など7市町村)に接する鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社で見つかったその木札には、「神社の座主が大変なけちで、焼酎を一度も振る舞ってくれなかった」という宮大工の嘆きが刻まれているそうだ。現代でも新築住宅の上棟式では大工に祝い酒をふるまう慣習が一部地域に残るが、一杯の焼酎を楽しみにしていた宮大工にはちょっぴり同情したくなる。  この木札からは当時、現在の人吉・球磨地域も含む一帯で、焼酎が広く飲まれていたことがうかがえる。当時の焼酎の原料は不明だが、サツマイモがまだ日本に渡来していない時期であることを考えると、米など雑穀を原料としたものだった可能性が高いという。  そうだとすると、一定品質の商品しか「地理的表示」を認めない「地域ブランド商品」として国が1995年に認めた、コメのみを原料とする熊本県人吉・球磨地域で生産される銘酒「球磨(くま)焼酎」の“源流”の一つといえそうだ。国の地理的表示保護制度により、「国産米のみを原料として人吉・球磨の地下水で仕込んだもろみを、人吉・球磨で蒸留し瓶詰めした焼酎」だけが現在、“球磨焼酎”を名乗ることができる。  およそ460年前に、一宮大工が飲めずに悔しがった焼酎は、蔵元ら地元関係者の息の長い努力により国内外で求められる球磨焼酎に洗練されてきたが、昨今の自然災害やウイルスの猛威を前に、いま厳しい経営環境にさらされている。地元熊本のシンボル・熊本城を一部崩壊させた4年前の熊本地震で県内需要が落ち込み、今春以降の新型コロナウイルスの感染拡大に伴う飲食店の営業自粛で出荷数が大幅に急減。さらに今年7月の九州豪雨で球磨川が氾濫し、一部蔵元の製造現場を襲い、蒸留機や大型タンクなどの製造設備が洪水被害を受けた。  球磨焼酎を造る27の地元蔵元でつくる「球磨焼酎酒造組合」によると、9月16日現在、3つの蔵元が製造中止に追い込まれているという。製造再開を目指すが、まだ再開時期のめどは立っていない、という。  このような球磨焼酎を襲った“三重苦の危機”に、すべての蔵元がいま一致団結し、支援を全国に呼び掛ける取り組みを始めている。蔵元大手の高橋酒造(熊本県人吉市)は7月、「球磨焼酎支援プロジェクトサイト」を開設。「飲んで」「買って」「寄付して」の3つの応援方法を示して、すべて蔵元への支援を募る活動を始めた。  プロジェクトサイトでは、店のドリンクとして球磨焼酎を提供する全国各地の飲食店や、買って支援できる球磨焼酎の販売店を紹介、協力を呼び掛ける。紹介された飲食店や販売店では売り上げの一部を寄付に充ててくれる。寄付金の協力も求め、寄付の手続き方法なども掲載している。寄付金の窓口である球磨焼酎酒造組合によると、9月16日時点でおよそ3千万円集まっているが、「蔵元の全損害を回復するにはまだ足りない」(同組合)という。  高橋酒造の高橋宏枝常務は「被災直後から会員制交流サイト(SNS)などを通じて球磨焼酎を応援したい、というありがたいメッセージをたくさんいただいた。皆さんの応援に応えるためメーカー側としてできることはないかと7月21日、支援をお願いするサイトを立ち上げた。協力してくれる飲食店は当初10店舗ほどだったが、今は25店舗ほどに増えた。500年の歴史ある球磨焼酎を守るためこれからも支援の輪を広げていきたい」と話す。  “地域ブランド”を確立した球磨焼酎は、その表示条件にあるように、国産米を使い、人吉・球磨の地下水で、人吉・球磨地域でしか造れない。自然、文化、歴史、人々の生活様式など、人吉・球磨地域そのものと深く結び付いているのだ。球磨焼酎酒造組合の田中幸輔専務理事は「人吉・球磨でお酒といえば、球磨焼酎のこと。神事の奉納酒、葬儀・法事の献杯は球磨焼酎。うれしい時も悲しい時も傍らには常に球磨焼酎がある」と語る。  500年間大切に受け継がれてきた球磨焼酎は、蔵元たちの一致結束と全国の温かい支援を得て今回の危機をきっと乗り越えていくに違いない。今宵は、球磨焼酎の復興を祈りつつ、一杯の焼酎を楽しみにしていた宮大工の分まで杯を傾けてみてはいかがだろうか。

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