「誰かが損をしたり、無理をする仕組みではいずれ破綻する」京王電鉄で実施された「参加型謎解きミステリー」の開発秘話 作家・岩井圭也が語る
SNSには『いつも駅からだった』の感想があふれた。「無料なのすごい」「下北沢の散歩もできて楽しかった」「朗読を聴きながら実際に街を歩くのはエモい」といった声を見て、関係者は盛り上がった。 「ちゃんと届いている! 読んでくれている!」 取り組みはメディアにも取り上げられ、冊子は順調に消化された。アンケート結果から、遠方から足を運んでくださった方が多いこともわかり、「移動ニーズの創出」という企画目的の達成も確認できた。 約二か月の実施期間で、所定の数の冊子をすべて配り終えた。たくさんの人たちに、下北沢を舞台とした新しい物語を届けることができたのだ。 成功を喜ぶのもつかの間、私たちは第二弾の企画を練りはじめた。次の舞台は高尾山口駅。休日ハックメンバーと協力して謎解き要素を入れつつ、今度は父と息子の物語を書き下ろした。 その後も調布駅、府中駅、聖蹟桜ヶ丘駅と、舞台を変えながら『いつも駅からだった』の企画は進行した。最終的には、五編合わせて累計九万部以上を配布した。当初、想定していた以上の成果であった。 嬉しかったのは、「久しぶりに小説を読みました」という声が多数寄せられたことだ。
「この機会にまた小説を読みはじめた」というコメントもあった。こういう意見を目にすると、本当にやってよかった、と思う。 きっかけはなんでもいい。「その地域に住んでいるから」でも、「声優さんのファンだから」でも、「たまたま目についたから」でも。大事なのは、小説の楽しさを体験してもらい、「本」への興味を抱いてもらうことだ。 この企画が実現できた要因のひとつに、出版業界プロパーではない担当者が集まったことがある。前例や慣習を知らないだけに、枠に囚われない発想ができたのではないか。もちろん、ステークホルダーのみなさんが、自分事として取り組んでくださったことも大きい。 いずれにせよ、大事なのは持続可能な取り組みに昇華させることだ。誰かが損をしたり、無理をする仕組みではいずれ破綻する。今回は企画の主担当である休日ハック、移動ニーズを生みたい京王電鉄や書店、そして書き手である私の目的が奇跡的に合致した。 「文学を社会に浸透させる」という試みは、第一歩を踏み出したに過ぎない。これからも、皆さんの意表を突くような試みで、「本」の概念を拡張していければと思う。文学や書店が時代遅れだとは、決して言わせない。 *** 岩井圭也(いわい・けいや) 1987年生まれ。大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。2018年『永遠についての証明』で第9回野性時代フロンティア文学賞を受賞し、デビュー。『最後の鑑定人』『楽園の犬』で日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)候補、『完全なる白銀』で山本周五郎賞候補、『われは熊楠』で直木賞候補。他の作品に『文身』『水よ踊れ』『舞台には誰もいない』『夜更けより静かな場所』などがある。 [レビュアー]岩井圭也(小説家) 1987年大阪府生まれ。北海道大学大学院修了。2018年『永遠についての証明』で第9回野性時代フロンティア文学賞を受賞し作家デビュー。著書に『文身』『水よ踊れ』『生者のポエトリー』『最後の鑑定人』『付き添うひと』『完全なる白銀』などに加え、書き下ろし文庫シリーズ「横浜ネイバーズ」がある。 協力:祥伝社 祥伝社 Book Bang編集部 新潮社
新潮社