「誰かが損をしたり、無理をする仕組みではいずれ破綻する」京王電鉄で実施された「参加型謎解きミステリー」の開発秘話 作家・岩井圭也が語る
京王電鉄の沿線で行われた前代未聞の企画がある。 小説と街歩き、さらに謎解きをかけあわせた、これまでにない体験型コンテンツ「いつも駅からだった」だ。 この取り組みは移動ニーズの創出を目指したもので、「体験型サービスの企画・開発・販売」を主な事業としている株式会社休日ハックが企画制作した。 物語を軸に作品の舞台を追体験できる街歩きの要素と謎解きを楽しめる小説を手掛けたのは、2024年に『われは熊楠』が直木賞候補となった作家の岩井圭也さんだ。 京王電鉄、謎解き、そして小説と、それぞれの強みを生かした、史上初の「参加型謎解きミステリー」だが、この異色のコラボはいかにして実現したのか? その開発秘話を岩井さんが語る。 「小説の楽しみ方を、拡張したい」 それは、私が小説家になる前から考えていたことだった。 先に断っておくが、私の作家としての主戦場は、単行本や文庫、雑誌などのいわゆる「本」である。それはこれまでもこれからも変わらない。ただ、「本」の形はもっと多様であってもいいのではないか、とも思う。 若いころはよく本を読んでいたけれど、今はさっぱり……という人は少なくない。そうした「元読書家」を再び文学の世界に呼び戻す入口を作るため、「本」の形を拡張することはできないだろうか。単行本や文庫以外の入口を作れば、「元読書家」たちが再び本や小説に興味を持ってくれるかもしれない。 新しい小説の提供方法を生み出し、文学を社会に浸透させる。それはデビュー以来、密かに抱いていた野望でもあった。 縁あって、二〇二二年の夏に株式会社休日ハックの田中和貴社長と知り合った。 当時、私は作家としてデビューしてから四年が経とうとしており、勤め先を辞めて専業作家になる直前であった。田中さんは三十二歳で、二年前に休日ハックを起業したばかりだった。 休日ハックは、「体験型サービスの企画・開発・販売」を主な事業としている。予算に合わせて休日の過ごし方を提案する個人向けサービス「休日ハック!」からはじまり、街歩き体験コンテンツ「街ハック!」の提供へとサービスを広げつつある時期だった。得意分野は「謎解きイベント」で、多くのユーザーを集めていた。 私は田中さんから、「街ハック!」への企画協力を提案された。 「小説と街歩きを掛けあわせれば、面白いことができそうじゃないですか?」 田中さんは真剣な面持ちだったが、正直に言うと、イメージが湧かなかった。 小説と街歩きを掛けあわせる? そんなの、聞いたことないけど……。 しかし田中さんは本気だった。出版業界とは縁がない人であることも興味深かった。そういう人だからこそ、新しい小説の形を生み出せる予感がした。真摯に企画と向き合う姿勢にも好印象を抱き、最終的には「ぜひやりましょう」と応じていた。 その後も幾度かやり取りをして、小説と街歩きの可能性を探った。数か月後、田中さんから連絡が届いた。 「京王電鉄さんのプログラムに採択されました!」 東京・神奈川に路線を有する京王電鉄株式会社では、外部企業とのオープンイノベーションを目指した新規プログラムを進めていた。このプログラムに、小説企画を提案した休日ハックが採択されたのだ。与えられたミッションは「移動ニーズの創出」であった。 さっそく、三者で集まってのミーティングが開かれた。会議の場で、私はさっそく腹案を話してみた。 「沿線の駅を舞台にした、連作短編というのはどうでしょう?」 京王沿線には魅力を持った街が多数ある。小説を通じてそれらの街の魅力を発信できないか、というのが私の案だった。とはいえ、それだけでは物足りない感じもある。すると、田中さんがこんな提案をしてくれた。 「そこに周遊型の謎解きを絡めたら、街歩きイベントになるんじゃないですか?」 謎解きにはいろいろなタイプがあるが、「周遊型」は制限時間がなく、特定の場所を移動しながら解いていく形式である。小説のなかに謎解きを仕込むことで、読者を街歩きに誘いたい、というのが田中さんの狙いだった。 京王電鉄の反応もよく、その場で三者の大まかな役割分担もできた。企画のタイトルは私が考えることになり、いくつかの候補から以下のタイトルが選ばれた。 『いつも駅からだった』 「文学を社会に浸透させる」試みは、少しずつ動き出した。 田中さんをはじめ、休日ハックのメンバーと協議するなかで、企画の形が徐々にできあがっていった。 京王電鉄の沿線各駅を舞台とした短編小説をベースに、各編に謎解き要素を盛り込んでいく。前半部分はウェブサイトで試し読みできるが、結末を確かめるには所定の場所で配布される冊子を手に入れなければならない。 さらに街歩きを促進するため、プロの声優による朗読も取り入れることにした。小説を読みながら街歩きをするのは難しいが、音声を聴きながらであれば可能だ。朗読は冊子を手に入れた人だけが楽しめるもので、読了後にそのまま街へ繰り出してほしい、という意図もあった。 第一弾の舞台は井の頭線下北沢駅に決まった。あとは、満足できるクオリティの小説を書き上げることが、私に課せられた任務だった。 企画の根幹を担うプレッシャーを感じつつ、下北沢の街を歩きながらプロットを練った。 結果、若いバンドマンたちの友情をテーマにした物語が出来上がった。休日ハックメンバーと協力して謎解きの要素も入れ込み、物語をたどりつつ街歩きができる仕掛けを施した。だが、小説が完成しただけではこの企画は完結しない。イラストを含めたレイアウトの作成や印刷、現地への許可取りなどの作業が急ピッチで進められた。 いろいろな意見が出たが、最終的に冊子は「無料」で配布することになった。おかげで、多くの方に読んでいただける素地もできた。下北沢駅構内などが、冊子の配布場所としてリストアップされた。 私はこの取り組みがはじまった時から、書店も巻き込みたいと考えていた。ほんの少しでも書店への送客になればという思いからだ。休日ハックや京王電鉄は、その思いに応じてくれた。京王電鉄のグループ会社「啓文堂書店」に話を通し、店頭での配布を実現してくれたのだ。 休日ハックと京王電鉄の担当者からは、「やれることはすべてやろう!」という熱量を感じた。私もその熱意に大いに共感し、追加でスピンオフのショートショートを執筆した。アンケートに回答することで、ショートショートを読める仕組みを作り上げた。 こうして二〇二三年三月、『いつも駅からだった』の第一弾「下北沢編」が公開された。無料配布とはいえ、こういった取り組みは前例がない。まったく動かなかったらどうしよう、という不安はあった。もっとも、田中さんや京王電鉄の担当者は私以上に不安だったようで、睡眠不足になる夜もあったという。 蓋を開けてみれば、車内や駅ホームでの告知が功を奏したのか、こちらの予想をはるかに超えて好評であった。「無反応だったらどうしよう!」と本気で心配していた私は、盛況ぶりに安心した。