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林真理子「作家が作家を描く。宮尾登美子さんの謎に満ちた人生を追って」

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婦人公論.jp

2014年に88歳で生涯を閉じた作家・宮尾登美子さんと、公私ともに交流のあった林真理子さん。林さんが丹念な取材をもとに綴った本誌連載「綴る女 評伝・宮尾登美子」が書籍化されました。宮尾作品の魅力や取材秘話、『綴る女』の読みどころについて聞きました(構成=篠藤ゆり 撮影=本社写真部) 【写真】宮尾さんと林さんの対談は * * * * * * * ◆いつか先生の評伝を 宮尾登美子先生に初めてお目にかかったのは、1983(昭和58)年。『NHK紅白歌合戦』の特別審査員をやらせていただいた時、ご一緒しました。高知で芸妓娼妓紹介業、つまり女衒(ぜげん)をしていた宮尾さんの実父がモデルの『櫂(かい)』を読んでいたので、「今日は高知からいらしたのですか?」と伺ったところ、「今は東京に住んでいます」というお答えでした。 その後、上梓した小説はすべてベストセラーとなり、映画化されると大ヒット。私もすっかり宮尾ワールドのファンになりました。きっちり織られた織物のような格調高い文体にも、登場する女性たちのドラマチックな人生にも、すごく惹かれたのです。やがて個人的におつきあいするようになり、お食事をご一緒することも。光栄なことに、着物もいただきました。 ある時「私、いつか先生の評伝を書きたいのです」と言ったところ、「いいわよ。その時は、なんでも話してあげますよ」と即答してくださいました。でも残念なことに、お話を伺う前に、永遠の別れが訪れてしまったのです。

◆サスペンスの謎解きのように 宮尾先生はベストセラー作家としての華やかな姿がマスコミで取り上げられている一方で、ベールに包まれていた部分も少なくありませんでした。世間的には、1回目の結婚で農家の嫁になったものの、文学への思いが捨てきれず離婚。再婚して上京し、主婦をしながら作家を目指した――と言われています。しかし実際は、どうだったのか。 また、『櫂』をはじめ『鬼龍院花子の生涯』や『陽暉楼』など、高知の遊郭を舞台にした作品を何作か書いており、インタビューでは実父の商売の規模を「関西一と言われていた」と答えています。しかし大阪や神戸ならともかく、当時の高知に、それほどの規模の紹介業が本当にあったのか。私を熱狂させた宮尾ワールドは、はたして実在したのか……。 たぶん多くの宮尾ファンが疑問に思っていたことを、私は足で歩いて解明しようと思いました。すると幸運なことにさまざまな出会いに恵まれ、次々と思いがけない事実が浮かび上がってきました。取材しながら、私自身、サスペンスの謎解きをしているような、ワクワクした気分になったものです。 『櫂』で描かれている実母は、小説の中ではかなり美化されているということもわかりました。娘義太夫という芸の道に生きようとしている純情な乙女に、お父さんが騙すようにして子どもを産ませたように書かれていますが、実際はその前に子どもを産んでいたようです。宮尾先生の借金の肩代わりをし、大変な思いをした女性にも会いました。 一番悩んだのは、宮尾先生がご自身のことを小説やエッセイに書いていらっしゃるので、それとは違う事実を書いたら失礼にあたるかな、という点です。でも作家というのは、自分のことも嘘をつくものだし、書きたくないことはうまく削るものです。それに多少謎解きをしたからといって、宮尾文学のすばらしさを傷つけることにはならないと思うのです。 丹念に取材したので、宮尾ファンの方が薄々感じていた疑問には、ほぼお答えできたかと思います。宮尾先生の身近にいた方に行きつくなど、思いがけない出会いにも恵まれました。宮尾作品を読んだことのない方には、一人の作家が別の作家の人生を解明していくミステリー的な展開を楽しんでいただけるのではないでしょうか。これを機会に宮尾先生のすばらしい作品にもう一度光が当たるとしたら、私としてもすごく嬉しいです。 (構成=篠藤ゆり、撮影=本社写真部)

林真理子

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