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ワースト記録は94連敗、弱すぎる「東大」は東京六大学野球に必要なのか?

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デイリー新潮

にっぽん野球事始――清水一利(25)

 現在、野球は日本でもっとも人気があり、もっとも盛んに行われているスポーツだ。上はプロ野球から下は小学生の草野球まで、さらには女子野球もあり、まさに老若男女、誰からも愛されているスポーツとなっている。それが野球である。21世紀のいま、野球こそが相撲や柔道に代わる日本の国技となったといっても決して過言ではないだろう。そんな野球は、いつどのようにして日本に伝わり、どんな道をたどっていまに至る進化を遂げてきたのだろうか? この連載では、明治以来からの“野球の進化”の歩みを紐解きながら、話を進めていく。今回は第25回目だ。  ***

 東京六大学リーグの中で唯一、東大はいまに至るも優勝がなく、戦後すぐの1946(昭和21)年春に2位となったのが最高の成績だ。この時は、終戦直後の物資不足や神宮球場がアメリカ軍に接収されていたことによる球場難などで、各校1試合だけの対戦という変則的なリーグ戦だったが、東大は初戦から4連勝を記録。最終戦の慶応に勝てば、史上初の優勝というところまでこぎつけた。しかし、惜しくも1対0で敗れ、“悲願達成”とはならなかった。  新型コロナウイルスの影響で今年の春季リーグは開幕が延期となっている。予断は許さないものの、現在のところ、8月10日から終戦直後同様の1試合総当たり制で行う予定で、東大にとっては大きなチャンスになるかもしれない。  この他、1981(昭和56)年春には史上初めて早慶両校から勝ち点を奪うなど「赤門旋風」を巻き起こし、ファンを大いに喜ばせたこともある。そんな東大が久しぶりに話題となったのが2015(平成27)年5月23日の対法政1回戦。この日、神宮球場はひときわ大きな歓声で包まれた。というのも、リーグワーストの連敗記録を更新中だった東大が法政を破り、ついに記録を100連敗目前の94連敗でストップさせたからだ。  東大の勝利は2010(平成22)年10月2日の対早稲田2回戦に4対2で勝って以来、実に4年7カ月ぶりのこと。連敗中、半分以上の49敗が完封負けと苦戦が続いていただけに思えば長いトンネルだった。  この94連敗の前の記録は70連敗。もちろん、これも東大が1987(昭和62)年秋から1991(平成3)年春、開幕カードの立教1回戦に勝つまで続けていたものだ。こうして、東大がなかなか勝てず連敗が続いていくと、必ずといってもいいほど出てくるのが「東大不要論」である。 「他の5校との実力差があまりにも大きすぎてつまらない。東大はリーグから脱退したほうがいい」 「東大に代わって他の学校を入れるべきだ」  いつの時代にもこう考える人が少なからずいるのだ。たしかに94連敗もしてしまう学校である。他の5校に比べて東大の実力が劣っていることは紛れもない事実だ。それには誰も反論できない。  しかし、だからといって東京六大学リーグに東大は要らないという人は、残念ながら東京六大学野球リーグの本質が分かっていないといわざるを得ないだろう。  東京六大学リーグは、いまでこそ優勝校を決めるためにリーグ戦という形式を取っているものの、忘れてはいけないのは東京六大学野球リーグの根底には大学対大学、もっと正確にいえば、もともとは早稲田と慶應の2つの大学が勝敗を競ったことにあるということである。  だから、いまでも勝ち星ではなく、相手に2勝して得られる「勝ち点」で優勝を決定する。それが東京六大学リーグの伝統であり、他のリーグのように2部リーグを作って入れ替え戦をやろうとか東大を脱退させようという発想はまったくないのである。  そうした議論が湧き上がる一方で、東京六大学リーグに、弱いながらも東大の存在は絶対に欠かせないという人もいる。  例えば、2000(平成12)年春、東大は明治からこのシーズン唯一の勝利を挙げているが、明治はこの1つの敗戦のために、勝率の差で立教に及ばず優勝を逃している。また、古くは1960(昭和35)年春の早稲田も同様で、東大史上最多勝をマークしている岡村甫に完封負けを喫したことが尾を引き、法政に優勝をさらわれている。さらに、これまで時としてファンをアッといわせる劇的な勝利を収めてきたのも東大ならではだ。  94連敗前の最後の勝利はハンカチ王子こと早稲田の斎藤佑樹から奪ったものであったし、1974(昭和49)年には初登板から3連勝という華々しいデビューを飾っていた怪物・江川卓(法政)に初めて、しかもシーズン唯一の土をつけたのも東大だった。たしかに、これらの事実を見ると東大の存在は無視できないだろう。  ところで、東大からプロ入りした選手はこれまで6人いる。 新治伸治(大洋)88試合9勝6敗 井手峻(中日)【投手成績】17試合1勝4敗 【打者成績】359試合 打率.188 1本塁打 小林至(ロッテ)1軍出場なし 遠藤良平(日本ハム)1試合0勝0敗 松家卓弘(横浜→日本ハム)14試合0勝1敗 宮台康平(日本ハム)1試合0勝0敗(7月29日現在)  以上の6選手で、いずれも在学中はチームを支えたエースだったが、プロに入ってからは大きな活躍はできずに終わっている。  このうちユニークだったのが1965(昭和40)年、史上初めての東大出身者としてプロ入りした新治だ。当初、野球は大学までと決めプロになるつもりのなかった新治は、大洋球団の親会社である大洋漁業(現在のマルハニチロ)に一般社員として入社した。すると、球団から「2、3年、南氷洋にクジラを獲りに行ったと思って野球をやらないか」と声がかかり、会社に籍を残したまま出向の形で入団している。そのため現役を引退した新治は、大洋漁業に戻り、その後、子会社の社長になるなど、話題を呼んだ。 【つづく】 清水一利(しみず・かずとし) 1955年生まれ。フリーライター。PR会社勤務を経て、編集プロダクションを主宰。著書に「『東北のハワイ』は、なぜV字回復したのか スパリゾートハワイアンズの奇跡」(集英社新書)「SOS! 500人を救え! ~3.11石巻市立病院の5日間」(三一書房)など。 週刊新潮WEB取材班編集 2020年8月1日 掲載

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