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南米アマゾンにひっそりと佇むオ-ストリア人入植地、熱帯雨林の秘境「ポスソ」(ペルー)

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サライ.jp

文・写真/原田慶子(海外書き人クラブ/ペルー在住ライター) ペルー唯一のオ-ストリア人入植地「ポスソ」。セルバ・アルタ(高地アマゾン)の奥地にありながら、今もなお移民たちの故郷であるチロル地方の文化や風習を守り続けている。異国情緒あふれる熱帯雨林の秘境「ポスソ」、その過酷な歴史と今を紹介しよう。

約束の地に到着したのは、移民団のたった6割

1821年にスペインから独立したペルー共和国は、その後多くの政治的危機を乗り越えつつ、ラモン・カスティ-リャを大統領に迎えた。カスティ-リャは1854年に奴隷制度の廃止を宣言する一方、不足する労働力を補うためク-リ-と呼ばれた中国人労働者を導入。加えて、ほとんど手つかずだったアマゾンの開拓にも着手した。その開墾者にと白羽の矢が立ったのが、オ-ストリアやドイツのカトリック信者たちである。19世紀半ばにヨ-ロッパ各国を襲った金融不安や飢饉は、多くの市民を苦しめていた。ペルー政府は移民計画の仲介役として、ドイツ人のコスメ・ダミアン男爵と契約。男爵は6年間で1万人のドイツ系移民を送るとし、ペルーはその見返りに渡航費用の負担や税の優遇、ポスソまでの道路建設などを約束した。 1857年3月、ホセ・エッグ神父を含むオ-ストリア・チロル地方出身者180人と、ドイツ・ラインラント(旧プロイセン領)地方出身者120人、合わせて300人の敬虔なカトリック信者を乗せた貨物船ノ-トン号がベルギ-のアントワ-プを出港、4か月後の7月にペルーのカリャオ港に到着した。この時点ですでに子供5人を含む7人が死亡していることからも、当時の船旅がいかに過酷であったかが想像できる。

しかし船上の苦労など序の口であったことを、その後彼らは身をもって経験する。一行はカリャオ北方の港町ワチョまで船で移動し、そこから海岸砂漠地帯を抜け陸路をさらに東へと進んだ。最初に彼らを待ち受けていたのは、極寒のアンデスだ。アルプス山脈を凌ぐ高地を徒歩で越える苦難はいかほどであったろう。まして幼子を抱えての旅である。雪渓を前に寒さと高山病で命を落とす者もいたに違いない。

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