菅は橋下徹と同じタイプの新自由主義者
【内田樹氏に聞く(下)】株式会社的政権めざし没落か
― その二階さんと菅さんが組んで、今の自民党執行部が成り立っている訳で、両者全く違うタイプですよね。仲は良いんですが。 内田 仲が良いということはないでしょう。利用価値があると思っているから繋がっているだけで。今の自民党ではパーソナルな友情なんて意味がない。 ― 「大角(大平正芳と田中角栄)の友情」とか言われたりしましたけど。先生がよく仰る農村型社会と言うのが政治の世界にもあったわけですよね。 内田 農村型社会的な合意形成では、最終的には人と人の間の信頼関係で片づけるしかない。「納得できないけれど、お前がそこまで言うなら、お前を信じる」というような解決法しかなかった。 僕の岳父(元衆院議員・元岐阜県知事平野三郎)は長く自民党代議士をしてましたけれど、戦前は日本共産党の中央委員でした。岳父に聞くと、当時の自民党には、元日本共産党の連中がずいぶんいたそうです。宇都宮徳馬がそうだし。逆に、社会党には戦前の農本ファシストが流れ込んでいた。 かつての左翼が自民党に行き、かつての右翼が社会党に行くという「人材交流」があった。だから、今は別の政党だけど、「若い頃には一緒に危ない橋も渡ったので、人間をよく知っている」ということが間々あったわけですね。だから、政党は違っても「あいつは話がわかる」とか「あいつは信用できる」とかいうことがあった。55年体制というのは、そういう古い人間関係が機能していたことで成り立っていたんだと思います。 ― そういう人的関係で色々やりとりするというですね。 内田 国対政治(国会対策委員会が中心になって国会対応を協議する仕組み)というのはそういうものだったんじゃないですか。他党と人脈があって、こちらの言い分を押し込んだり、相手の言い分に譲歩したりというやりとりを自己裁量でできる人がいた。戦後民主主義というのはそういう村落共同体的なすり合わせでそこそこ機能してきたんだと思います。今の与野党の政治家はもうそれができない。 ― 永田町を取材するとありますよ。党派を超えた人的な関係というのは。野党だけでやっていられない問題を自民党と連携しなきゃいけないとか問題があったりして。でも、昔とは違うでしょうか? 私、不破哲三氏の秘書やっていた方知ってるんですけど、中川一郎秘書時代の鈴木宗男氏とも親しかったという方がいるんですよ。もう40年ぐらい前の話ですけど。 内田 それくらい前でしたら、自民党にも野党から信頼されている政治家はいました。前に福島みずほさんと話した時に、評価する政治家として野中広務と後藤田正晴の名前を挙げていたし、仙谷由人さんは、森喜朗と山崎拓を高く評価していました。 ― 今のリベラルな左翼の人々って非常に視野が狭いわけで、昨年、内田先生のインタビューを配信しましたが、「天皇を称賛する内田樹を評価するなんて!」と言われました。 内田 そうなんですか。でも、左翼からの批判って痛くもかゆくもないんです。だって、彼らは論理的でしょ? 全然暴力的じゃないし、しつこく絡んでくることもない。実害がないんです。その辺がネトウヨと違う。 ―菅政権というのは、人間味がないですか? 内田 人間的魅力で人を引っ張っているという感じはしないですね。安倍政権下で、忠誠度で人を格付けするということを徹底的にやってきて、それが成功体験になっている。だから、恐怖心や不安で人をコントロールする技術には長けてますけれど。 ― 彼をヒトラーやスターリンに喩える人もいますが、そういう人ではないんでしょうか? 内田 全然違いますよ。ヒトラーやスターリンは妄想的ではあれスケールの大きな国家目標があったじゃないですか。それを実現するために独裁者になった。独裁制というのは彼らの脳内にあった国家戦略を実現するための手段だった。でも、菅首相の場合、独裁制を作り上げることそれ自体が目的であって、その先がない。首相になって最初に目的として口にしたのが、「自助」でしょ。国民生活の中に政府の存在感がないような社会を作りたいって、独裁者が言うことじゃないですよ。携帯料金下げろとか。とにかく話が小さい。 ― ひたすら独裁組織を作るのが目的と? 内田 国家の統治コストを最少化するのが目的です。その点では維新と同じです。組織の管理コストを最少化することそれ自体が目的化している。トップの命令に全員が唯々諾々と従うトップダウンの組織を作ることが政治目標なので、重層的な組織や、異物が混入している組織が嫌いなんです。上から下まで指示が貫徹する「独裁者とイエスマン」だけで構成された組織を実現することが最大の政治目標になっている。 ― 内田さんは橋下徹が株式会社的な運営を狙っていると以前言いましたが・・・。菅首相にしても株式会社にしようということですか? 内田 そうでしょう。同じタイプの新自由主義者ですから。 ― その株式会社化した組織の行き着く果てはなんでしょうか? 内田 没落ですよ。だって、「株式会社みたいな国」って、論理的にあり得ないから。 会社の場合だったら、経営判断の適否はマーケットが判断するでしょ。会社の内部では決められない。だから、いくら取締役会や従業員が反対しても、トップが決めたことがマーケットに好感されて、売り上げが伸びて、収益が上がり、株価が高値になったら、誰もそれ以上は反対できない。 逆に、全社一丸となってCEOの経営判断を支持しても、マーケットが反応してくれなければ、CEOは首になり、会社は倒産する。だから、ビジネスの場合、「マーケットは間違えない」というルールを全員が受け入れている。会社の経営が独裁的であるか、民主的であるかなんて、マーケットの判断とは何の関係もない。 ― 株主と消費者が判断するという。 内田 会社ではそうなんです。でも、国や自治体は会社のように当期の売り上げとか今日の株価という指標によって経営判断の適否がすぐには可視化されない。ある政策が正しかったか間違っていたかを知るためには、国力の向上や、国民の幸福という長期的な結果を見るしかない。だから、ある政策の適否は、場合によっては二十年、三十年というタイムスパンでしかわからない。 でも、行政を株式会社みたいに改変したいと思っている人たちはそんな長い時間待つ気がない。 だから、彼らが「マーケット」だと見なしているのは選挙なんです。「次の選挙」で多数派を制したら、それは「マーケットに好感された」ということだから「政策が正しかった」ということになる。そう推論するわけです。でも、それはビジネスの話であって、政治の話じゃない。 国政の場合、「マーケット」は国内の選挙じゃなくて、どの程度の国力であるかを示す国際社会からの評価です。国際社会におけるステイタス、発言力、外交的なプレゼンス、指南力、そういうものが国力の指標になる。国力が向上したかどうかは、「他人からの視線」でしかわからないんです。いくら国内で「日本スゴイ」とか「日本は世界から尊敬されている」とか言って喜んでいても、そんなのは無意味なんです。 でも、国や自治体を株式会社のような組織に改変したいと思っている人たちは国際社会における評価なんかにはぜんぜん興味がない。次の選挙で勝てるかどうか、どれくらい議席が獲れるかどうか、それだけしか興味がない。だって、それが「マーケット」だと思っているから。国内マーケットでのシェアが増えれば、それで目標達成。競合他社とのシェア競争で勝てばいい。それだけが目標になってきた。 だから、自民党が目指したのは得票率を下げることだった。有権者の多くが政治に関心を失い、政治に期待しなくなり、投票しても何も変わらないという無力感に蝕まれると、自分たちのコアの支持者たちだけが投票するようになる。そうなると自民党に投票する人は有権者の20%に満たないのに、議選占有率は60%を超えるという奇妙な現象が起きる。長期政権を維持するためには、反対者に無力感を植え付け、投票意欲を殺ぎ、有権者たちにはメディアを活用して「政策が正しかったから選挙に勝った」というデタラメを刷り込めばいい。実際にそうやって自民党は長期政権を維持してきた。 ― 選挙プランナーなんかはマーケティング理論を駆使してアドバイスしてると思うんですよ。ですから、そういう考え方になりますよね。 内田 それでこれまで勝ってきたし、たぶんこれからも勝ち続ける。それは「独裁者とイエスマン」だけでできている株式会社みたいな国が理想的であり、かつその「株式会社みたいな国」の経営判断の適否は国際社会からの評価ではなく、国内における「次の選挙」の議席占有率で決定されるという二つの「嘘」を時間をかけて有権者に刷り込んだことの成果です。 だから、今の日本学術会議問題のように、イエスマン以外の学者には公的な承認も公的な支援も与えないというような手荒なことをし始めた。これまで政治家も官僚もジャーナリストも「政権に対する忠誠度」を基準にして格付けしてきた。そして、忠誠度の高いものを重用し、批判的なものを排除して統治に成功してきた。その成功体験をそのまま学者にも適用した。 たしかに、学術の世界もイエスマンだけで固めて、少しでも政権批判をする学者はパージしてしまえば、管理はし易くなります。でも、政府に都合のよいことばかり言う曲学阿世の学者ばかりになったら、日本の学術的アウトカムの質はひたすら劣化するしかない。国際社会からも「日本発の学術情報は信用できない」という評価を与えられ、そもそもイエスマンしかいない組織ではいかなるイノベーションも起きない。 学術的発信力の質を高めて、日本の国力を向上させたいという思いがあったら、学界をイエスマンだけで埋め尽くそうなんていうアイディアは絶対に浮かばないはずなんです。それをしたということは、菅首相には日本の国力を向上させようという考えはないということです。 ― 彼は「安倍晋三さんに出会って国家観を初めて考えた。それまで国家観なんて考えたことがなかった」と雑誌のインタビューで言ってました。 内田 そうなんですか。だったら今もないんでしょう。わかっているのは、「独裁者とイエスマン」の国にすれば統治コストが安く上がるということと、ひたすら対米従属をしていれば「宗主国」からは「引き続き政権を担当してよろしい」という許諾が頂けるということです。それだけは過去の成功体験からわかっている。 ― そういう国家論も何もない、多分思想もない。 内田 ないでしょう。 ― 大学卒業してから政治家になろうと思ったらしいけど、彼は実は典型的なノンポリと言えるのでは? 内田 出世したい、権力を持ちたいと気持ちはあるでしょうけれど、その権力を何のために使うのかについては特段のヴィジョンがない。 ― 正に株式会社化ということで、単にサラリーマンで言えば出世したい、それで社長までなったというパターンですね。 内田 そうですね。社長になって何をしたいということはなくて、ただ社長になりたいという人っているじゃないですか。社員に朝礼で訓示したりとか、社長会に行って名刺交換したりとかすることが「社長になること」だと思っている。 ― 非世襲議員だからいいというのは、おかしいですよね。 内田 世襲じゃない人は「叩き上げ」というのは言葉の使い方が少し違うんじゃないですか? 僕の場合、父親はサラリーマンだから、僕は世襲の学者じゃないけど、僕を「叩き上げの学者」だなんて呼ぶ人いないですよ。 ― 「非世襲だから庶民の心がわかる良い人」みたいに思っちゃう人が多いんですよね。世襲か非世襲かなんて関係ないですね。 内田 出自とか学歴とかは政治家の資質に関係ないです。政治家を見る時の基準は、その人が政治を通じて何を実現しようとしているか、それだけでしょう。 ― マキャベリが言うように、君主は善人である必要はないですからね。 内田 そうです。本性が邪悪であっても、それを必死で隠して、「いい人ぶる」気づかいができるなら政治家としてはずいぶん上等だと思いますよ。 ◇ ◇ ◇ 菅義偉首相という人物が内田氏の分析を通じて、少し見えて来たとように思える。彼の政治家としての本質は、高度成長期の出世志向の猛烈サラリーマンタイプの人間が、政治の場に身を置いた結果成功し、総理という会社で言えば「社長の椅子」を射止めたというわけである。 ただ、ひたすら出世競争の果てに位人臣を遂に極めたものの、独自の国家ビジョンは何もなかったというのが菅首相ではないか? この辺、若かりし頃から将来首相になったことをシミュレーションして、ノートに政策を書き続けて来た中曽根康弘元首相等とは大きく異なるように思われる。 インタビュー中では、主に田中角栄元首相と比較しているが、三角大福中と呼ばれた時代の首相と比べれば、小粒に見るひともいるだろう。恐怖の独裁者というイメージで見る人もいるが、何のビジョンもなく案外短命で終わる政権なのかもしれない。(角田) ■聞き手 角田 裕育(ジャーナリスト) 1978年神戸市生まれ。大阪のコミュニティ紙記者を経て、2001年からフリー。労働問題・教育問題を得手としている。著書に『セブン-イレブンの真実』(日新報道)『教育委員会の真実』など。