キラキラ見える水卜麻美アナも「実は“こっち側”の人だった?」
人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。今月のテーマは「あなたは“こっち側”の人間か?“あっち側”の人間か?」。
キラキラ見える水卜麻美アナも、実は“こっち側”の人だった
SNSが根付いていったとき、「誰もが主役になれる時代」が来たのだとそう思ったもの。しかし結局のところ今、ちょっと異なる構図ができてしまっている。SNSをやる人と、見る人とにキッパリ分かれ、それが何となく“陽と陰”に見えるようになっているとの見方があるのだ。 SNSをやる人は基本的にみんなキラキラして見えるから、同年代や同業者のそういうキラキラのSNSを見ては、何だか落ち込み、鬱状態になりがちな人がにわかに増えているというのである。 そもそもSNSはやるのも見るのも興味がないという人はまったく別として、誰もが主役になれるはずが、皆が始めたSNSもどんどん淘汰が進み、自分には合わないとやめてしまう人、輝けずに脱落してしまう人、理由はそれぞれだが、結果的にはやっぱり主役と観客、光を浴びる人とそれを眺める人に分かれてしまうということ。光を浴びる人が以前より身近にいる分だけ、光を浴びられなかった人のダメージが大きいというのだ。 でも、人間ってそんな単純だろうか。もちろんSNSを眺める立場になって、凹んでいる人もある数いるのだろうが、多くはそういう場所から逃げてきた人。そうやって人前でパフォーマンスすることが苦手、というより好きではないことに気づき、人から“いいね”をもらうことにも特段喜びを感じない、むしろひっそり目立たない方が心地よいことを自覚できた人が多いのじゃないか。でもだから、出て行きたい人だらけの社会に生きていると、どっぷりと疲れてしまうことにも気づいた人が……。 そもそも出て行きたい人の方が人間として単純、ひっそりしていたい人の気持ちはある種わかりにくいものだからこそ、きっと打ちひしがれているのだろうと世間は思うわけだが、必ずしもそうではない。彼らは複雑なのだ。 まず、このタイプが必要以上に人の心を読んでしまい、だから必要以上に気を遣い、疲れてしまうのは事実。そして自分をアピールしないでいる方がむしろ楽。だからまわりに理解されないケースも多々……。 そういう意味で、もう終了してしまったが、『午前0時の森 おかえり、こっち側の集い』という番組は、実に的を射ていたと思う。まさに“こっち側”の人たちだけが共有できる感覚を“あるある話”の中に収めていき、何となくみんなでホッとする。同じ戸惑いを持つ人の話を聞くことに、静かな幸せを感じるわけだ。 とりわけ芸能界では、自分自身も当然のように出て行きたい人間でなければいけない気配の中で、余計に苦しい思いをしていたりするわけで、自らを“こっち側”の人間だと思う出演者は、その番組の中ではまさに水を得た魚のように安心しきっているのがわかるのである。そこには、いかにも“あっち側”に見える人も多数いる。そもそもMCを務めた日テレの水卜麻美アナは、一見、思い切りキラキラの“あっち側”の人に見えるが、実際は“こっち側”? しかも「自分の話をすることが苦手だから、笑ってやり過ごすタイプ」と分析したのが、同じ“こっち側”を自認する二宮和也だったりしたのだ。本当にわからないもの。それこそ、自分の話をしないから、本人にしかわからないのが“こっち側”。でもだからこそ、この番組を見て救われたり癒やされたりする人が少なくなかった。実は同類の人間が他にもたくさんいることを知るからで、今までそれを確かめる術がなく、それ自体に孤独を感じていたから、共通点があまりに多い人々の話を聞くだけで満たされるのだ。 ただ今の時代、こういう人たちは“めちゃめちゃ明るく振る舞ってクタクタに疲れている”か、さもなければ“自分の意見をハッキリ言えない人”“自分に自信がない自己評価の低い人”などと、否定的な見方をされるかのどちらか。 しかし、自己評価が低いってホントだろうか。皆が皆、意見をぶつけ合ったらまとまらない。皆が自信満々に承認欲求に走ったら、受け止める人がいない。競り合って大混乱になるだろう。“こっち側”の人はたぶんそこまで考えて“こっち側”の人をやっていて、自信のない“いたいけな人間”ではないのだ。 もちろんどちらが良い悪いではない。 ただ自分はどちらの人間なのかを知っておく方が生きやすいのは確か。さまざまなコミュニティーの中で、“あっち側”の人々の中になじもうとしている“こっち側”の人間は、日々ストレスを抱えてしまうに違いないから。“こっち側”であるという自覚と備えが健全な社会生活を送る絶対の鍵となるのである。 撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳 Edited by 中田 優子
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