ジョブズが本当にAppleのCEOにしたかった「IBM PCの父」に見る、IT業界の分岐点
大原雄介さんの連載「“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る」の2回目が掲載された。 神経質そうに手を組み替えながら話す若きビル・ゲイツ ・「IBM PC」がやってきた エストリッジ、シュタゲ、そして互換機の台頭 いよいよIBM PCの登場である。当然ながら、IBM PCの生みの親であり、IBMのPCビジネスを率いることになったドン・エストリッジが出てくる。そこで、以前5年前、個人ブログに書いた、エストリッジに絡んだエピソードをリライトしたので、サイドストーリー的に読んでいただければと思う。 そう、「ジョブズが本当にAppleのCEOにしたかった人物」というのはthe Dirty Dozenを率いてIBM PCを短期間で作り上げた「IBM PCの父」、ドン・エストリッジのことだ。スティーブ・ジョブズはAppleのCEOとしてエストリッジの起用を考えていたのである。 1983年、IBM PCの生みの親であるフィリップ・ドン・エストリッジはスティーブ・ジョブズからAppleの社長になるよう要請されていた。エストリッジに断られたのでジョン・スカリーに白羽の矢が立った。 ITmedia NEWSが2004年に掲載した、IBMがPC撤退を発表した後に書かれたセンチメンタルなコラム記事には、こうある。 ある伝記によれば、彼は1983年に、Appleが数百万ドルの報酬を提示して社長になってほしいと頼んだのを断ったという(IBM PCの父「ドン・エストリッジ」を思う) ここで言及されている伝記とは、著名なITジャーナリストであるロバート・クリンジリーの著書「Accidental Empires」のことだろう。 本書はアスキーから翻訳版が出されており、その時のタイトルは「コンピュータ帝国の興亡―覇者たちの神話と内幕」だった。ただし、現在は絶版となっている。古本なら入手可能だ。 この本をもとにしたドキュメンタリー「Triumph of the Nerds」も作られている。ジョブズ、スティーブ・ウォズニアック、ビル・ゲイツ、ポール・アレンといったパーソナルコンピュータの黎明期を築いた巨人たちのインタビューも含まれている、極めて貴重なものだ。このジョブズのインタビューが後に見つかり、それが「スティーブ・ジョブズ 1995~失われたインタビュー」として映画化もされている。 第1部はAppleの快進撃、そして第2部はIBM PCの勃興とクローン大戦。ただし、エストリッジは早世したためか、映像としては登場しないのが残念だ。なお、このビデオは日本には入ってきておらず、見る手段はないのだが、トランスクリプトはあるので、それだけでも読むとなかなか面白い。 ウォルター・アイザックソンによるジョブズ公式伝記によれば、エストリッジは100万ドルのサラリーと100万ドルのボーナスを提示されたが、敵にくみすることを良しとせず、拒否したのだという。 エストリッジはAppleの第一のCEO候補だった。もしも彼が受けていたら1985年に夫人とともに飛行機事故で亡くなることはなかったかもしれない。しかし、ジョブズとはやはり対立しただろうから、結局のところ、ジョブズがAppleを追い出されるか、エストリッジが追い出されるかしていたかもしれない。 今はこの世にいない、現在も競い合っている2種類のパーソナルコンピュータ、IBM PCとMac、それぞれの父。彼らが組んでいたらどのような歴史が描かれていたのだろうか。 前述のTriumph of the Nerds第3部は、XEROX PARC、Windows 95、そしてMacintoshの誕生をジョン・ワーノック、ラリー・テスラー、ビル・アトキンソン、アンディー・ハーツフェルド、そしてスティーブ・ジョブズらが語る。 Boot Campを使えばWindowsマシンそのものとして起動でき、拡張カードの多くも使える、今の(Intel)MacのハードウェアはIBM PCによほど近い。エストリッジとジョブズの、時を超えたコラボのようなものだ。そしていったんはIntelプロセッサでIBM PC化したMacは、独自のApple Siliconで今また別の道に進もうとしている。 IBMは2004年にPC事業から撤退してLenovoに譲り、それからすでに16年。LenovoはNEC、富士通のパソコン事業も担うに至った。 IBM PC誕生から39年。Mac誕生から36年。エストリッジの死から35年。ジョブズの死から9年。 エストリッジの言葉が記された記事をもう1つ見つけた。IBMがなぜ自分たちだけの技術でIBM PCを作らなかったのかという問いに対する答えだ。 we didn’t think we could introduce a product that could out-BASIC Microsoft’s BASIC. We could have to out-BASIC Microsoft and out-VisiCalc VisiCorp and out-Peachtree Peachtree ― and you just can’t do that. (Don Estridge) MicrosoftのBASICよりも優れたBASICを生み出せる製品を出せるとは思わなかった。VisiCorpが出すより優れたVisiCalc的な表計算ソフト、Peachtreeが出しているものより優れたPeachtree的な会計ソフトも出さなければならなくなる。それは不可能なのだ(ドン・エストリッジ) これは、PC Magazine(1980年代の終わり、筆者はその日本版編集部にちょっとだけいた)の創設者であるデビッド・バネルが書いた記事。1982年の4月から5月にかけて、IBM PCチームの本拠地であったボカラトンに取材に行ったときのインタビュー。 エストリッジがかなり長い時間、IBM PC、そしてPCの未来について語っているビデオを見つけた。1981年10月15日にBoston Computer Societyという超有名なコンピュータユーザーズグループが主催した「Forum on the Future of Personal Computers」というパネルディスカッションを録画したものだ。IBM PCの発表直後という時期。エストリッジはソフトウェアの重要性と、違法コピーの存在がいかに危険かという主張をしている。一方、のっけから会場を爆笑の渦に巻き込み、ジョークにも長けた快活な人物であることが分かる。 エストリッジの動画は、ぼくがネットで探した範囲だとこれだけ。さらにこのビデオに価値があるのは、他のメンバーだ。1981年当時、AppleのCEOだったマーク・マークラ、その左隣で神経質そうに体を揺すっているビル・ゲイツ。 AppleとIBM PC部門のそれぞれのトップが会ったのはこの時が最初だったという、本当に歴史的な映像だ。Computer History MuseumがYouTubeで公開している。 マークラが「ソフトウェアはそのうち無料になる」という、ある意味正しい予言をすると、ゲイツが嫌そうな顔をするとか、いろいろ面白い。 このパネルディスカッションは他のメンバーも豪華だ。彼らの発言も収録されているので、今は亡きそれぞれの会社の行く末を思い起こしながら彼らの「予言」を聞くのもまた一興だ。 ・H・E・ジェームズ・フィンケ:Commodore InternationalのCEO ・ジョン・シャーリー:Radio ShackのPersonal Computer Divisionジェネラルマネジャー ・ピーター・ローゼンサル:Atari Personal Computer Divisionプレジデント ・ナイジェル・セアール:Sinclair Researchの北米トップ Radio Shackのジョン・シャーリーは後にMicrosoftの社長となり、同社の躍進を支えた人物だ。 エストリッジにAppleの社長にならないかという提案をして、蹴られたのと同じ1983年、ジョブズはもう1つの重要な提案をし、そちらは成功させている。 1983年、Appleのスティーブ・ジョブズが、Macintosh用のレーザープリンタであるApple LaserWriterを動かすプロジェクトへの参加を提案してきた。Adobeはこの提案に乗った。Appleは気前がよく、100万ドルの前払い金に加えて250万ドルを現金でAdobeに支払った Adobeは37年経っても、相変わらずAppleともMicrosoftともうまくやっている。 そして、AppleもMicrosoftもIntelに替わる次の心臓部として、Armを選んでいるというところ、Adobeがいち早くそれに対応しているのも非常に興味深い。 ・Adobe LightroomがM1 MacとSurface Pro Xにネイティブ対応 ・Adobe、Arm版Windowsに最適化した「Photoshop」β版を公開 Surface Pro Xでネイティブ動作 ・Adobe、M1 Macに最適化した「Adobe Photoshop」のβ版公開 それぞれの分岐点で正しい判断をした会社だけが生き残る。そんなサバイバルゲームが1970年代から行われてきて、その結果を今、われわれが目撃しているのだ。
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