特攻隊長の遺書「原爆で死せる人間を生かしてくれたら喜んで署名しよう」死刑執行前夜~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#62
原爆で死せる人間を生かしてくれたら署名しよう
<世紀の遺書 幕田稔> こんな理であるから理性的に考えてみれば、署名した事が私の死後どうなろうと私の知った事ではないのであるが、私は現在、即永遠の私の残生に対して、莫迦げた高圧的な圧力に屈したくなかったのである。 私の良心に対し、私の内なる仏に対し厳密に忠実でありたかったわけである。いくら考えても軍隊組織内に於いて命令でやった事が、この現実的な世界に於いて死に価するとは考えられない。原爆で死せる幾十万の人間を生かして、私の眼の前に並べてくれたら私は喜んで署名もしよう。そうでない限り受諾出来ないのである。 〈写真:スガモプリズン〉
人間を罰し得るのは自分自身だけ
<世紀の遺書 幕田稔> 大体この世界に於いて、人間の行為に対し罰し得る者は居ない筈である。罰し得るのは自分自身だけである。自分自身の内なる仏があるのみである。あえて他人を罰するのは、人間の増長慢なり。神仏を知らざる神仏に逆きたる者である。 人間各自が各々自分自身を自分で罰し得る世界は理想であり、現実に実現不可能なのかも知れないが、少なくとも現在の二十世紀の人間の、余りに人間の仏性を無視し、ないがしろにしている事がここに於いて、はっきりと了解出来る。 死刑の執行は翌日の深夜。次の日のことを思いながら、幕田は鉛筆を走らせたー。 (エピソード63に続く) *本エピソードは第62話です。
連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。 筆者:大村由紀子 RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。