小さな“悪”とどう付き合う? 他人にも自分にも寛容になることのすすめ
「小悪党は世間の賑わい」と思える寛容さ
問題は(1)と(2)のグループの仕分けと(4)と(5)グループの仕分けをどうすればいいかです。 基本は他害原則と愚行権になるでしょう。他害原則とは,他者を害さない、ほかの人の権利を侵害しないということ。愚行権はその裏返しで、他者を害さないのならば、傍目にはどれほど愚かしいこと(愚行)であっても本人がやりたいのならやっていいということ。 ただし、他害原則をあまり厳しく当てはめると、息苦しくなります。極論すれば、人は生きているだけで環境を汚染しているのです。間違いなく、二酸化炭素を吐き出し、エネルギー資源を消耗させている。それは将来の世代は言うに及ばず今現在の世代にも有害です。だからといって人はみな死んでしまえばいいと言うのは、本末転倒でしょう。 人は皆、多少なりと周りに迷惑をかけあって生きています。そうでであれば、小さな悪(他者が為す悪であれ、自分が為す悪であれ)には寛容である方が、人は幸せであろうと思います。タバコ、泥酔、ずる休み……。やってしまったら反省すべきだけど、それ以上の糾弾や自己嫌悪は、しなくてもいいのでは?、と思います。 もう何十年も前ですが、作家の司馬遼太郎さんがNHK(Eテレ)で「小悪党は世間の賑わいです」と語っていた。これは、「支配者が為す巨大な悪を見逃すべきではない」という議論の中で語られたことで、けっして小さな悪事を放任する議論ではありません。ただ、戦争や飢餓といった巨悪の廃絶を願うのは当然であるにせよ、凡人の小悪までもいっさいがっさいこの世から消し去ることは不可能です。悪党を消し去ることが不可能であるなら、それを目にしても一々いきり立たず、余裕を持って対応しようという、冷静で成熟した認識であったのだろうと、今にして思います。他者の小悪に対しても、自分の小悪に対しても。 (心療内科医・松田ゆたか)