小さな“悪”とどう付き合う? 他人にも自分にも寛容になることのすすめ
東京都では受動喫煙防止条例が議会で賛成多数で可決、成立し、日本全体でも喫煙は規制が厳しくなりつつあります。わたしは医者として当然のことながらタバコを吸わないけれど、ますます肩身が狭くなる愛煙家にはいささか同情します。医者がこんなことを書くのは奇妙でしょうか? 確かにぜんそく患者のそばでたばこをふかしたり、乳飲み子を抱いた母親の目の前でタバコを吸ったり、路上に吸い殻を投げ捨てたりする無神経な喫煙者には、わたしも非難します。ただ、そんな無神経な喫煙者のかたわらで、きちんと周りに配慮し、マナーを守ってタバコを吸う人たちも少なくはありません。そんな人たちのささやかな楽しみを非難しようとは思いません。ましてや道徳的・人格的な非難を浴びせたりすることはありません。
体に悪いのはタバコだけ?
わたしがこのように喫煙に寛容(?)なのは,いくつか理由があります。 まず、喫煙は体に悪いからと批判されますが、体に悪いのはタバコだけではありません。睡眠時間を削るほどの長時間労働やストレスは、タバコなどよりはるかに有害なのは言うまでもありません。しかし、健康的だと思われるスポーツにして、ジョギングくらいの激しさのスポーツは活性酸素を発生させ、特定の筋や腱を酷使し、関節を摩耗させるから、体によいとは言えません。日光浴も紫外線の浴びすぎになれば、がんを発生させたり、目に入ると白内障を促進します。グルメにしても、えてしてカロリー過剰の引き金になるなら体に悪いでしょう。 「浜の真砂は尽きるとも,世に不健康の種は尽きまじ」なのに、タバコばかりが、これほど非難されるのは不公平だろうというのが理由の一つです。 だけど、もっと深い理由があります。 タバコと同じくらい体に悪いことは、ほかにもたくさんあります。では公平を期して、それらの「悪事」もみな非難し、禁止とは言わないまでも制限を課すべきなのでしょうか? その程度の悪事を根絶しようとすることは、はたして正しいことなのでしょうか? そんな疑問があるからです。