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水谷隼を追い詰めた試合の裏側 笠原弘光が明かす“じゃんけん研究事件”の真相

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“水谷世代”笠原弘光(シチズン時計)は、早稲田で大学日本一を勝ち取り、関東学生リーグでは前人未到の54勝2敗という成績を残した。 【写真】2016年全日本シングルス3位に輝いた笠原弘光(当時協和キリン) ただ、その2敗を喫した相手が水谷隼(木下グループ)。笠原の前にはいつも“同世代の怪物"水谷が立ちはだかっていた。 大学卒業後、笠原は実業団へ、水谷はプロへと進んだ。社会人3年目の全日本で笠原は「水谷に最もチャンスがあった試合」を迎える。

親と並んだ自己最高の全日本3位

――早稲田大を卒業後は協和キリン(当時・協和発酵キリン)に進まれました。選んだ理由は? 笠原:もともと仕事をしていこうと思ってたので、その中で卓球をやれる環境にあるというのが選んだ理由です。 製薬会社は今後も成長していくのかなと考えてましたし、協和が一番大きな企業だったのもあります。自分が思い描いている形でできるのが協和でした。 ――プロになるという選択肢はなかったですか? 笠原:その当時はプロというのがほとんどなかったんです。水谷(隼)や岸川(聖也)さんを除いて、大学卒業して日本リーグの企業に入るのが一番上だったんですよね。 ――社会人4年目には自己最高の全日本シングルス3位に輝きました。 笠原:嬉しかったですね。親は両方3位まであるので、そこでようやく並べたのかなって。その年はずっと自分の状態も良かったので、運と自分の技術がうまく噛み合わさった感じです。 ――準決勝ではまた水谷選手と対戦となりました。 笠原:その年は仕方なかったですね。勝ち上がっての対戦なので。でも水谷とやるなら早めの方がチャンスあるのかなと思いましたね。 ――それはどうしてですか? 笠原:全日本の最後の方まで来ると、自分はそれまで限界で戦ってきてるんで体も痛い。僕らは金曜日のランク決定の方を重要視していて、逆に水谷は日曜日にピークを持ってきてる。その辺はやっぱり違う。 あと水谷は1台になった状況に慣れている。そうなると早い段階で当たる方が倒しやすいのかなと。

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