「洗濯で夜は寝られず手が血だらけに」「先輩が寝るまでマッサージとうちわ」…大物OBたちが《日本一厳しい》亜細亜大野球部では「生真面目でも、いい加減でもダメ」と語る「深い理由」
「陸上部になりたくない」
阿波野 亜細亜の練習はとにかく反復だよね。プロ野球と違って、10分刻みでメニューが進んでいくとかじゃない。これと言ったら、それをずーっとやる。もう嫌々やっても身につくくらい(笑) 僕はバント処理とか、よくやらされた。ブルペンキャッチャーの人とか、3、4年生がついて。 与田 今で言う学生コーチみたいなね。 阿波野 そうだね。山ほどあるボールをひたすら転がされた。でも、あのおかげで守備は上手になったと自分でも思う。 あとはとにかく走って、とにかく投げた。ピッチャーは午前中にピッチングをして、午後はトラックでランニングというのが基本で、当時はみんな毎日、投げていた。今は大学生もプロみたいに球数を管理しているけど、ノースローの日なんてありえなかった。 それに多少、痛かろうがランニングがきつかったから投げていた。「今日投げられません」と言うと、午前もランニング、午後もランニングになってしまう。 与田 ボールを投げているときは野球部だから、普段は野球部と陸上部。でもボールを投げないとずっと陸上部になっちゃう(笑) 阿波野 それと亜細亜のOBはよく覚えていると思うけど、自重を利用したサーキットトレーニングのようなメニュー。腕立てとか、スクワットとか、2人一組で手押し車とか、肩車とか、1周400mで十種類以上の種目を行う。 与田 のちに「やりがい体操」という名前がつけられた伝統的なメニューですね。 阿波野 選手は嫌で嫌でしかたがないから、前監督の生田(勉)がやりがいを持ってやれよと、あえてそういうネーミングにしたんだろうね。器具を使ったりという近代的な練習では決してないけど、鍛えられるよね。 与田 体操という字のごとく、自分の体を操れなければいけないというのは今でもすごく正しい考えだと思うんです。器具を操るわけじゃなく、自分の体をどう操るか。 阿波野 練習は苦しいんだけど、やっぱりちゃんと身になっている。中には故障しちゃう人もいたけど、そこは自分でコントロールする。キツい顔してやっとけば、それ以上のことはやらないで済んだりした。 与田 抜き方のうまさ。いざ抜いてみると、ずっと抜いていたらいけないというのもわかる。やるときはとことんやって限界までできる。ですけど、時々緩める方法も知っている。残ったのはそういう人たちですよね。 阿波野 あとは同期の存在も大きいよね。 次回記事『亜細亜大学野球部大物OB対談「プロになれた理由」と「“日本一の厳しさを”乗り越えたからこその感動」…「恋人の手紙に一緒に涙した仲間」「上級生と一体になれた伝説のドラマ」「真剣にハラをくくってくれた恩師」』では仲間との絆、涙の青春エピソード、そして二人がプロ野球選手になるために欠かせなかった転機を回顧する。
週刊現代、鷲崎文彦
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