「洗濯で夜は寝られず手が血だらけに」「先輩が寝るまでマッサージとうちわ」…大物OBたちが《日本一厳しい》亜細亜大野球部では「生真面目でも、いい加減でもダメ」と語る「深い理由」
キーホルダーを顔に投げつけられた阿波野氏
阿波野 40、50球くらい投げて自分なりに調整が終わって「ありがとうございました」と言って終わろうとすると、矢野さんが「やり直せ」と。普通は最後の1球とか、何球かいい球が行けばいいと思われるでしょうけど、矢野さんの場合は最初の1球目を投げる前の挨拶からやり直させる。 与田 気持ちの部分なんでしょうね。 阿波野 今日は調整だから、これくらい投げておけばいいやというふうに見えたんだろうね。 でも、与田のほうが大変だったよね。体格がいいから目立つし、ボールも速かったから期待されていた。でもコントロールがきかなくてあっち行ったりこっち行ったりという1年生だったから、それはもうよく怒られていたし、かなりの数を投げていたよね。 与田 でも、阿波野さんも一度、矢野さんに理不尽に怒られたことがありましたよね。 阿波野 明治大とのオープン戦のときね。試合に負けて、矢野さんに鍵が20個くらいついたキーホルダーを顔に投げつけられて、バコーンとくらった。矢野さんは当時の明治の監督の島岡吉郎さんにものすごいライバル意識を持っていたからね。 与田 でも、その試合で阿波野さんは投げていないんですよね。 阿波野 僕は次の日の立教戦に投げる予定だったから、その試合で準備することはなかった。でも「相手は明治だぞ! 俺が行くという気構えがないのか」という。明治とやるときは朝から本当にピリピリして、大げさじゃなく命懸けで試合をする感覚だった。 与田 でも矢野さんも阿波野さんにキーホルダーをぶつけたときは、一瞬、まずいって顔をしていましたよ。 阿波野 目とかに入ったら危ないからね。でも、そんな顔をしたんだ。 与田 あれは僕、見逃しませんでした。 阿波野 俺はキーホルダーしか見えてないから(笑) 与田 でも、それでも無傷だった阿波野さんはやっぱり持っているんですよ。それなりの速さでぶつかったのに、「痛ッ」って顔をされただけで普通にされていましたから。
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