「洗濯で夜は寝られず手が血だらけに」「先輩が寝るまでマッサージとうちわ」…大物OBたちが《日本一厳しい》亜細亜大野球部では「生真面目でも、いい加減でもダメ」と語る「深い理由」
洗濯板で指の皮がむけて血だらけ
日本一厳しい野球部と称されてきた亜細亜大学。常軌を逸した練習メニュー、耳を疑いたくなるような寮生活。乗り越えるために必要だった野球とは関係ない素養や処世術を阿波野秀幸氏、与田剛氏が明かす。 【一覧】プロ野球「最も愛された監督ランキング30」最下位は、まさかの… 前回記事「<侍JAPANの井端監督も>「みるみるうちに痩せていく」「入学式前に1/4以上が辞める」…二人の大物OBが振り返る「日本一厳しい亜細亜大野球部」での「プロになれた分岐点」』」から続く。 阿波野 特に大変だったのは睡眠時間の確保だよね。時間の使い方が下手な人はどうしても寝る時間がなくなっちゃう。中でも一番は洗濯。 与田 洗濯です。今なら乾燥機がついていたりして便利になっているんでしょうね。ただ、なにより台数が少なかった。 阿波野 2台とか3台だったよな。あれ、なんであんなに少なかったんだろう。常に順番待ちで取り合いみたいになっていた。行ったら先に誰かがいて、「今から?」と聞くと「うん」と言うから、「次いい?」と聞いてももう決まっている。 次の人が田中なら、田中のところに行って「田中、終わったら、次いいか」と言うけど「次は佐藤だ」と。で、佐藤に聞くと「わかった」と「声掛けてくれ。頼むぞ」って、やっと順番が決まる。 与田 練習が終わってすぐ行きたくても、先輩に脱いで下さいと急かすわけもいかないですからね。 阿波野 だから、早めにできそうなときはマネジャーに助けてもらう。マネジャーは練習しないで、来客者の対応とかで寮にいることが多い。だから朝の段階で頼む。「今日、何時頃に上がるから取っておいてくれ」と。 練習が終わって誰かが洗濯に来るとマネジャーのTシャツとかがグルグル回っている。次を聞かれたマネジャーには「次は阿波野なんだ」と答えてもらう。でも、それを前の晩から頼むやつも出てきたりする。 与田 順番がいつまでも回ってこないときは先輩方がお風呂に入らない時間まで待って、風呂場で洗濯板を使ってやりましたよ。でも、あれってすごく力が要るし、ユニフォームの汚れってなかなか取れないから夜中の2時、3時までかかったり、ゴシゴシやっているうちに指の皮がむけて血だらけになる。
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