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レギュラーは5年のみ…故障で泣かされた「巨人の天才打者」とは

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復活後もたびたび快打を披露

 激痛に顔をゆがめ、担架でグラウンドから運び出される事態にスタンドは騒然となる。一度は北海道大付属病院に入院したが、日本の医療レベルでは治療できないほどの重傷だったため渡米。スポーツ医学の名医として知られるフランク・ジョーブ博士が執刀した際、「今まで見たことがないひどい切れ方で、ここまで複雑な手術は初めて」と驚くほどだった。選手生命を危ぶまれる大けがから1年以上の苦しいリハビリ生活を経て、89年9月2日のヤクルト戦(東京ドーム)で復帰。代打出場すると、球場は大歓声に包まれ、涙を流すファンの姿も見られた。セカンドへゴロを放ち、吉村も走りながら感極まり、ベンチに戻っても涙が止まらなかった。  試合終了直後のミーティングでは近藤昭仁ヘッドコーチがひとこと言った。「吉村、ボックスに立ててよかったな」。この声に原、篠塚利夫、中畑清らが肩を震わせた。「あいつの苦労を知っているからグラウンドにいるときから泣けてきましたよ」とは岡崎郁の言葉だ。その後、報道陣の前に姿を現した吉村の目は真っ赤だった。 「久しぶりで球が速く感じました。もう結果はどうでも……。みんなが拍手してくれたのがうれしかったし、自分でもやっとここまで来たか、という感じでしたね」  左足はかかとをついて歩けないときもあり、レギュラーで常時出場できる肉体ではなかった。だが、吉村は並の打者ではない。軸足の左足に体重を乗せる打ち方が不可能になったため、右足を軸に回転する打撃スタイルに変えて打ち続けた。90年に84試合出場で打率.327、14本塁打をマーク。同年、優勝を決めるサヨナラ本塁打も放った。90年代後半は左の代打として勝負強さを発揮し、98年限りで現役引退した。プロ17年間で通算1349試合に出場して打率.296、149本塁打、535打点。タイトルに無縁に終わったが、波乱万丈の野球人生は多くの野球ファンに勇気を与えた。その活躍ぶりは多くの野球ファンの脳裏に深く焼きついている。 写真=BBM

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