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「岡本和真に負けた」。そして元U 18 日本代表の野球エリートは起業を目指した

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「ずっと経営者になるのが夢だったんです」  ビシッとスーツを着こなし、そう照れくさそうに話す青年の名は安田孝之。明徳義塾では3年生の時に春夏連続甲子園に出場し、U18日本代表にも選ばれるなど、いわば野球エリートだった人物だ。そんな安田が、経営者になりたいと思うようになったのは、野球に熱中していた高校時代だった。 松井秀喜に5敬遠。ヒールと呼ばれても慕われる明徳・馬淵監督の素顔 「自分は母子家庭で、必死に働いている母の背中を見て育ったんです。仕事の合間に自分の試合を見に高知まで来てくれたり......そんな母を働いて楽にしてあげたいというのもありました」  安田が中学時代に所属した東大阪シニアは、2002年夏に明徳義塾が全国制覇を成し遂げた時の主将・森岡良介(現ヤクルト内野守備・走塁コーチ)をはじめ、多くの甲子園球児を輩出した関西でも有数の名門チームだ。  投手と三塁手を兼任し、チームの中心選手だった安田は、明徳義塾入学時"森岡二世"と騒がれる逸材だった。入学してすぐにAチーム(レギュラーチーム)に帯同し、春の大会ではベンチ入りを果たしたが、その安田と同じぐらい期待されている同級生がいた。今年、徳島インディゴソックスから埼玉西武ライオンズに入団した岸潤一郎だ。 「岸は中学の時から有名な選手でした。入学してすぐ僕と岸がベンチに入って、練習試合で僕が先発して、岸がリリーフして勝った試合がありました。その頃はコントロールに自信があって、変化球もまあまあ。逆に岸はスピードで押すタイプで、どちらかというと試合をつくれるのは自分のほうでした。それに初打席で右中間に二塁打を打つなど派手な高校デビューを飾り、自分は(岸に)負けてないと思っていました」

だが夏の大会が近づくにつれ、徐々に立場は逆転していく。6月に高知県高野連が取材する招待試合で、藤浪晋太郎(阪神)を擁し、センバツで優勝した大阪桐蔭と対戦。その試合でマウンドに立ったのは岸だった。  その後、岸は夏の甲子園でも初登板を飾ったが、一方で安田は表舞台から消え、秋の新チーム発足前に馬淵史郎監督からこう告げられる。 「『おまえはエースになれることはないけど、バッティングがいいからキャッチャーをやれるか』って。そこから練習して4番・キャッチャーとして試合に出るようになったんですけど......。でも、その後に水野(克哉/現・伏木海陸運送)が正捕手になって、僕はショートや外野、いろんなポジションをこなしました。セカンド以外は全部経験したと思います」  3年時に出場した甲子園では正遊撃手としてプレーし、U18アジア大会(タイ・バンコク開催)に岸とともに選出された。 「正直、自分でいいのかなって。(日本代表の)ユニフォームだけをもらって帰ってくるつもりだったんですけど、まさか全5試合にフル出場するとは思いませんでした。あれだけのメンバーのなかでフル出場できたことは自信になりました」  その日本代表メンバーには岸のほかに、岡本和真(智辯学園→巨人)、高橋光成(前橋育英→西武)、飯塚悟史(日本文理→横浜DeNA)、小島和哉(浦和学院→早稲田大→ロッテ)、岸田行倫(報徳学園→大阪ガス→巨人)、香月和也(大阪桐蔭→ロッテ)、脇本直人(健大高崎→元ロッテ)、淺間大基(横浜高→日本ハム)など、錚々たるメンバーが揃っていた。

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