最近よく左肩をさするレジェンド…無理と酷使重ねた登板 岩瀬さんが“戦友”ヤクルト五十嵐へ贈る言葉
渋谷真コラム・龍の背に乗って
◇25日 ヤクルト1-5中日(神宮) ヤクルト・五十嵐亮太が最後のマウンドに上がった。通算823試合。初登板も本拠地の中日戦だった。1999年4月20日。2―2の延長12回を、2年目の19歳が託された。打者4人を三振、安打、四球、四球。荒れ球を制御できず、19球で降板を命じられた。後続が打たれ、3失点(自責点は2)。敗戦投手と防御率54.00という失敗から、彼のキャリアはスタートした。 「延長で記録がつながったから、その試合の記憶はありますけどね。確かレフト前にポトリと落としたやつでしょ。あの相手が五十嵐とは知らなかった」 打たれた方は覚えていても、打った方は忘れているものだ。阪神の井上打撃コーチの打球が落ちたのは、左翼ではなく中堅の前。それまで無安打だったが、この一本で開幕からの連続試合安打を14につなぎ、21まで伸ばした。 「常に全力のピッチャーでしょ! 体が壊れちゃうんじゃないのって、思うくらいのね」 身を削り、剛速球を投げる。井上コーチがこう評した五十嵐と、いわば戦友なのが岩瀬仁紀さんだ。同じリリーバーとして「刺激を受けた」という岩瀬さんは、前人未到の登板1002試合。五十嵐は大リーグも含めれば906試合。記録を破るかも…。僕はそう思っていたが、岩瀬さんは首を横に振った。 「僕も900まではあっという間でした。でも、40歳超えてからの100が、どれだけ苦しかったか。本当に長かった」 ファンならご存じだろうが、岩瀬さんは自分の記録への執着は驚くほど薄い。だけど自分が歩いてきた道の険しさは知っている。最近、レジェンドは左肩をよくさする。「現役の時は一度も痛めたことがなかったのに、筋力が落ちたからか、動かしただけでも痛いんです」。無理と酷使を重ねた末の1002試合。41歳の五十嵐の肉体も、悲鳴を上げているはずだ。 「だから今は、お疲れさまという言葉しかないですね」。岩瀬さんは戦友にいたわりの言葉を贈った。