偶然が重なり予想もしない展開へ......圧倒的に面白いコーエン兄弟の『ファーゴ』
<明確な悪人が登場せず、人間の複雑さを見せてくれる『ファーゴ』はテレビシリーズもいい>
公開は1996年。僕がオウム真理教信者のテレビドキュメンタリーを撮り始めた年だ。でも撮影中に放送中止が決まり、僕は制作会社を解雇される。その後も1人で撮り続けたドキュメンタリーは『A』というタイトルを与えられ映画として完成し、僕の肩書に「映画監督」が加わる。つまり激動の年だったはずだ。【森達也(作家、映画監督)】 でも『ファーゴ』は劇場で観ている。金銭的にも時間的にもそんな余裕があったのかと不思議だけど、大きなスクリーンで観たことは確かだ。 ミネソタ州ミネアポリスの自動車販売店に勤めるジェリーは多額の借金を返すため、妻ジーンを狂言誘拐することを思い付く。義父で販売店社長の裕福なウェイドから8万ドルの身代金をせしめる計画だ。友人から紹介された2人のチンピラに、ジェリーは妻を誘拐してくれと依頼する。 ここまでが導入。その後に思わぬ偶然が重なって、事態は誰も予想しなかった状況へと進んでゆく。 偶然を呼び寄せる要因の1つは、ジェリーも含めて関係者の多くが、物事を深く考えないことだ。これはコーエン兄弟の映画のほとんどに共通する要素だが、登場人物はみなどこかネジが緩んでいる。例外は事件を捜査する警察署長のマージだけ。彼女を演じるのは、その後に『スリー・ビルボード』や『ノマドランド』が話題となったフランシス・マクドーマンド。
冒頭のテロップの意味
明確な悪人はいない。いや、チンピラの1人であるゲアの行動は明らかに法や道徳を逸脱しているが、よこしまな悪意がなぜか薄い。コーエン兄弟の話題作の1つである『ノーカントリー』に登場するシガーも、悪というよりも病的に異常なのだ。 オウムの撮影を始めたとき、それまでメディアは冷酷で残虐な集団であるかのように報道していたし、そもそも大量殺人を企てた前代未聞の組織なのだから、僕も身構えながら施設に入った。 でも、出会う信者はみな穏やかで善良で屈託がなく(ただし信仰に真摯すぎる故か何かが抜けている)、しばらく混乱したことを覚えている。残虐で冷酷だから凶暴な行動をするわけではない。人はもっと複雑で多面的だ。この映画を観たのはそんなことを考えていた時期だったはずだ。 コーエン兄弟の作品は出来不出来の差が激しい。でも『ファーゴ』は圧倒的だ。一つ一つのショットが饒舌なのだ。そして寸止め。職人芸だ。 この映画についてはもう1つ触れたい。冒頭に実話を基にした旨のテロップが入るが、実は全くの創作であることをコーエン兄弟は後に明かしている。つまりフェイク。でもファーゴもミネアポリスも実在する都市だ。これを日本に置き換えて考えてほしい。どんな批判や抗議が来るだろう。いや批判や抗議以前に「虚偽を実話と宣言するなどとんでもない」と考え、誰もやらないはずだ。
テレビシリーズも観始めて......
2014年にこの映画のリブートがテレビシリーズとしてアメリカで放送され、今は配信でも観られる。映画があまりに素晴らしかったから、間延びしたシリーズを見る気になれなかった。でも数日前に観始めた。むちゃくちゃ面白い。コーエン兄弟は製作総指揮に回ったが、テイストはしっかり残されている。そして冒頭ではやっぱり「これは実話である」のテロップ。やるなあ。 『ファーゴ』(1996年) 監督/ジョエル・コーエン 出演/フランシス・マクドーマンド、スティーブ・ブシェミ、ウィリアム・H・メイシー <本誌2024年11月26日号掲載>
森達也(作家、映画監督)