「いつも叫び声が…」ロシア軍が残した“拷問”の痕跡 壁にはムチの跡も ジャーナリスト・佐藤和孝氏が報告
日テレNEWS
ロシア軍の占領下にあったウクライナ南部・ヘルソンで拘束されていた市民が、当時の凄惨(せいさん)な状況を証言しました。ロシア軍が撤退した街に残されていたのは“拷問の痕跡”でした。ジャーナリスト・佐藤和孝さんの報告です。 ◇ ジャーナリスト・佐藤和孝さん 「国際空港ですね。完全に破壊されています」 ロシアがその大部分を占領していたウクライナ南部・ヘルソン州では、11月にロシア軍が一部撤退し、市民は町を取り戻しました。しかし、忌まわしい記憶も残されたのです。 市民 「自転車に乗っていた民間人が、この通りで(ロシア軍に)撃たれました。買い物を終えて、帰宅中の女性も撃たれました。彼らはいつも一般市民を無差別に撃っていたんです」 占領中、市民への攻撃は日常的に行われていたといいます。 佐藤和孝さん 「ここは拘置所ですね。ここに拷問部屋があるということで」 佐藤和孝さんが訪れたのは、ロシア軍が拷問をするために使っていたという建物です。元々は、ウクライナの拘置所でした。 ウクライナ軍関係者 「ここでは民間人に対して殴ったり、電気を使ったり、水を口の中に注いだり、首を絞めたり、様々な方法で拷問が行われていました」 拷問部屋の机には、血をぬぐったような跡が残されていました。壁に残されていたのは、ムチの跡だといいます。スタンガンの説明書もありました。民間人への拷問は、ロシア側に抵抗する人をあぶりだすなどの目的で行われていたとみられます。 佐藤和孝さん 「プーチン大統領をたたえる言葉が、ここに書かれていますね」 ウクライナ軍関係者 「ロシア軍は(拘束した人に)『ロシアに栄光あれ! プーチンに栄光あれ!』と叫ぶよう強要していました」 ウクライナ軍によると、ヘルソンには、こういった施設が少なくとも4か所造られ、2000人以上が拷問を受けたといいます。オレグさん(44)もその1人です。 佐藤和孝さん 「拘束された部屋で、叫び声を聞きましたか?」 オレグさん 「いつも(聞こえました)、いつもです。恐ろしかったです。すごい音がしていて、人が叫んでいました」 そして、自身も3時間にわたって拷問を受けたといいます。 オレグさん 「銃で殴られたり、胸などを蹴られたり、太ももと膝の下も殴られました。肋骨が4本折れて、とても痛かった。殺されると確信していました」 ロシア軍の占領が解かれたことについて、オレグさんは「うれしかったです。でも、まだ占領されている地域があります。心から喜ぶことはできません」と話しました。 占領下では、子どもたちの教育の場も奪われました。ヘルソン市内の小学校で、銃を持ったロシア兵が学校の備品を盗んでいったといいます。 小学校の教師 「あそこにはテレビがありました。1台も残っていないです」 さらに、強要されたというのが“ロシア化教育”です。 小学校の教師 「(授業の内容は)ロシアのプロパガンダばかりで」 佐藤和孝さん 「すべてロシア語で教えるのですか?」 小学校の教師 「ロシア語です」 ほとんどの教師はこの授業を拒否し、多くの子どもたちが町から避難したといいます。 小学校の教師 「平和。そして、すべての子どもたちに戻ってきてほしいです」 廊下の壁には、子どもたちに向けたメッセージが残されていました。そこには「困難な道の先には素晴らしい景色が広がる」と書かれていました。