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葛飾・足立・江戸川区はブランド化されずにひっそり残った「等身大の解放区」だ

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アーバン ライフ メトロ

定義が曖昧な「下町」

 1400万人もの人口を抱える東京は、駅や地域ごとに、その街の代名詞ともなる特色やブランド、イメージを持っています。 【画像】葛飾区のわずかに残された「生産緑地」を見る  そんなイメージのひとつとしてよく語られるものに「下町」があります。しかしこの「下町」という言葉は、今日では定義が曖昧なまま多々使用されています。 「下町」として頻繁にメディアに登場するのは、浅草や深川、両国、また俗に「谷根千(谷中・根津・千駄木)」と呼ばれる台東区・文京区周辺など、主に江戸時代からの寺町や旧町人街です。  しかし23区東部の、葛飾区、足立区、江戸川区など、元々は江戸近郊の農村部で、戦後になって急速に宅地化が進められた地域もまた「下町」と呼ばれます。

役割を終えた荒川以東の「下町」

 ところが、江戸のイメージと直結し観光産業も盛んな旧町人街と比較すると、荒川以東、中川・江戸川流域周辺の「下町」エリアは、その明確なカテゴライズとは裏腹に、やや漠然とした印象で、広く耳目を集める機会は多くありません。  商業地が少ない純然たる住宅地であるためですが、もうひとつ、そもそも荒川以東の「下町」は、その歴史を振り返ると、既に当初の役割はいったん終えているためです。  戦後、日本が経済発展を遂げる中で、かつて江戸の食料庫として機能した23区東部の農地は次々と工場用地に転用され、職を求めて多くの労働者が流入しました。  当時、あまりに急速に、そして無秩序に進む宅地化の波に対し、区による緑地指定など一定の開発規制も試みられたものの、実際にはほとんど効果はなく、包括的な都市計画は後手に回されたまま町は膨張していきました。  同様の現象は23区南部の大田区など他地域でも見られますが、東部はより広範囲に住宅と工業施設の混在が広がっています。

迷路のような路地奥にたたずむ町工場

 時はたち、宅地化の波がさらに郊外へと進むにつれて、かつての家内制手工業の延長線上にあるような小さな町工場の多くは姿を消し、労働者も引退、あるいはより広い住まいを求めて町を去っていきました。  閉業した町工場の跡地には、また新たな民家や集合住宅等が建築され、町並みの更新は現在も続いていますが、まるで迷路のように複雑に入り組んだ路地の奥には、現在もなお操業を続ける工場と並び、いまだ高度成長期に建築された膨大な数の集合住宅や戸建てが残されています。  町工場が数を減らしたと言っても、住宅地として引き続き利用されていることに変わりはありませんが、一部の再開発エリアを除き、人気の町として確固たる地位を築いているとは言い難い現状があります。  これは都心方面の通勤者のためのベッドタウンとして発展した他地域と異なり、通勤を含めた日常生活を地域内で完結させていた労働者の町として利用されてきた経緯があるため、今日においても、特に私鉄沿線は都心への交通網が比較的弱い点が理由です。

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