ラーメン日本一のオヤジを支えた息子に父がラーメン作りを一切教えなかった理由「ラーメンは教えるものではない。なぜなら…」
「ラーメンは教えるものではない」何も教えなかったオヤジがついに…
しばらくテレビや雑誌にはまったく紹介されなかったが、味一本、口コミのみでどんどんお客さんが増えていった。県外からも集まるようになり、朝8~9時から多くの人で行列ができるようになった。 「『白河ラーメン』だからどうしたいとかは考えていません。そこへのプライドもありません。それよりも『火風鼎』のオヤジのラーメンが日本一だとずっと思っているので、白河の垣根を越えて全国区にしたいという思いがありました」(誉幸さん) 「焔」はどんどん有名になり、全国からお客さんが集まる人気店になったが、いまだ父の作る麺を超えることはできていないという。作る職人によってまったく表情の変わる手打ち麺の奥深さを感じる。 「オヤジの手打ち手切りの麺は、全国どこに行っても他では食べられない麺です。感性で作っているので、真似しようにもできない域に達しています。オヤジは白河でなくても、麺一本で生きていける国宝級の麺職人なんです」(誉幸さん) 昔から自分にとってのヒーローで、絶対に敵わない存在と思っていた父。 父は天才肌だが、自分は努力型だと言う誉幸さん。気合と根性だけでここまでの人気店を作り上げてきた。偶然とてつもなくおいしいスープや麺ができることもあるが、偶然は努力があればこそ起こりうると信じている。誉幸さんは努力で感性を培ってきた。 「(物価高騰による原材料費の高騰もあり)これからは自分の使わせていただいている食材がいつでも手に入るとは限りません。そういうときは食材のクオリティによるブレと闘っていかなければいけません。 気負うことは何もありませんが、食材が安定しないことで自分の味が崩れることへの怖さがあります。あらゆる食材をとことん試しながら自分の味を守っていくことが、これから大事になっていくと思います。他のどんな食べ物にも負けないラーメンを作り上げていくことが自分の夢です」(誉幸さん) 憧れの父のラーメンを日本一にし、自らはさらに高みを目指して自分のラーメンの味を磨いていく。今回、「日本ご当地ラーメン総選挙2024」で日本一になったことで、「ラーメンは教えるものではない。見よう見まねでできていくもの」といって、今まで何も教えてくれなかった父が麺作りを一から教えてくれることになったという。誉幸さんも改めて一から学ぶことで、「火風鼎」の味も継承していく使命ができた。 今までは父子のあ・うんの呼吸で「継ぐ」「継がない」の話が出てきたことはなかったが、ここから誉幸さんはまた父の味に向き合っていくことになるだろう。これからの二人のラーメンが楽しみだ。 #1はこちら 苦節45年目にしてつかんだ「ご当地ラーメン」日本一の栄光 取材・文・撮影/井手隊長
井手隊長