上島竜兵急逝 山田邦子が告白「魚肉ソーセージ、かりんとうで竜ちゃんを送ってあげたジモンちゃんの想い」
5月11日未明に急逝した、お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵(享年61)。かつて同じ事務所に所属していた、同学年のタレント・山田邦子(61)が「 週刊文春 」に、上島との思い出と現在の胸中を明かした。 【画像】妻・広川ひかるさんとの結婚式(94年10月) 山田は1960年東京都生まれ。1980年に芸能活動を開始。「オレたちひょうきん族」「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」などでお茶の間の人気者となり、数多くの冠番組を持つ。2007年乳がんに罹患し、厚生労働省「がんに関する普及啓発懇談会」メンバーとなった。2020年にはYouTube「山田邦子 クニチャンネル」を開設している。
「熱湯風呂」は竜ちゃんがいなければ成り立たない
――山田さんと上島さんは、かつて同じ事務所に所属し、学年も同じです。 私は芸歴が42年目くらいなんですけど、ダチョウ俱楽部も40年くらい。ただ、私の方が先に売れたんですよね。私の方が先に売れたから、なんかお姉さんっぽいんだけど。寺門や肥後ちゃんは1歳か2歳くらい下で、竜ちゃんは同い年。だからといってベタベタするわけじゃなくて、今は「おはよう」とか「元気?」とか、会えば軽い挨拶をするような感じでした。 ――たけしさんがフライデー事件(1986年)で不在になった時、山田さんが「スーパーJOCKEY」のMCを務めました。 たけしさんが急にいなくなったので、私がピンチヒッターになったんですね。「熱湯風呂」に入るところとかは、竜ちゃんがいなければ成り立たない。お風呂の温度とか、飛び出してきた時の床がどれくらい滑るのかとか、そういう本番前の準備を一生懸命やってましたよ。「熱湯風呂」は5分とか10分とか短いコーナーなんだけど、そこに集中して一生懸命やってましたね。
自分の役割はしっかりやり、ほかの人の邪魔はしない
――1994年10月には、上島さんの結婚式に出席された。 私が司会をしていた「全日本そっくり大賞」という番組があって、(ものまねタレントの)コージ―冨田とかがそこの卒業生なんですね。竜ちゃんの結婚相手の(広川)ひかるちゃんは、そこに出てきた高校生だった。荻野目洋子ちゃんのものまねとかが、すごく面白くて。高校卒業したらデビューしてきて、太田プロに入ってきたんです。10歳の差があるから、まさか竜ちゃんと結婚するとは思いませんでしたけれど。当時はまだバブルの名残があってね、すごく派手で華やかな式でした。ケーキも大きくて。竜ちゃん、喜んでましたね。 ――その後も色んな場面で一緒になった? 出版記念とか、番組の打ち上げとか、お誕生会とか。ありとあらゆるパーティに、ダチョウ倶楽部は来てくれたと思います。竜ちゃんはソツがないというか、静かにニコニコしてるのよね。何か与えると、パッと出てくる。これは本番でも同じで、自分の役割ってときはしっかりやるけど、それ以外はほかの人の邪魔はしない。出しゃばりじゃないのよ。竜ちゃんはちゃんと自分の出る場所わかっていて、ポイント、ポイントは大爆笑だから。