野村萬斎「開会式は…簡素化する」「コマーシャリズム化した五輪を、元に戻すチャンス」【本紙単独インタビュー】
狂言界のスーパースターには、揺れ動く東京五輪がどう映っているのか。新型コロナウイルスの感染拡大により開催が1年延期された。国際オリンピック委員会(IOC)は簡素化した新たな五輪の形を模索している。開閉会式の演出を総合統括する狂言師の野村萬斎(54)が本紙の単独取材に応じ、狂言とスポーツを重ね合わせつつ、1年後へのビジョンを語った。 ◇ ◇ ―五輪は延期となった。開閉会式に関わる立場としても、衝撃だったのでは 野村萬斎「不可抗力じゃないでしょうか。五輪という概念より、一人一人が未曽有の状況をどう受け止めるのかが先決だった。第1波が終わり、今は第3波と言われている。そういう中でコロナとの共生感が少しずつ出てきて、また何とか目指そうということなんだと思う。いろんな議論があるのは承知しているが」 ―コロナは人類が初めて見舞われた厄災だ 「大きな意味では、地球が疲れていて、人間に吹き出物ができるがごとくに地球に現れたのかなと。吹き出物は外からは治らない。体の中から直さないと。環境問題も含めて。そういう警鐘なのかなと。地球を人体として考えれば、そういうことなのかな」 ―開会式も簡素化の対象となっている。演出も少なからず変わるのでは 「それは大変ですね。僕一人でやっているわけではないが、各セクション、各スタッフがいろんなことで関わってきて、それがご破算になる部分もある。そういう痛みも伴いながらも、やっぱり歓迎される式典じゃなければいけないし、コロナの中で、あえてやる式典を意義あるものしたい。それが式典に関わる人間の思いじゃないか」 ―具体的にどう変わるのか 「内容はお楽しみに。ただ皆さん言っているように簡素化する、シンプルにする。個人的には、いろいろな意味でコマーシャリズムがのった五輪を、元に戻すチャンスにしたらいいかなと僕は思っている。理念を再び取り戻す。五輪、パラリンピックをやる意味は何なんだと。この機会にそうなると素晴らしいのではないか。五輪自体はアスリートがしのぎを削る勝負の世界。優劣はつけるけど、人間として平等という理念が基本的にある。ただのお祭り騒ぎではない」 ―前回の東京五輪が印象に残っていると 「1964年の東京五輪をあらためて見たとき、驚きました。運動会、甲子園と変わらない感じ。みんなが心を正して、折り目正しく礼儀正しく行進して、緊張感を持っていた。ブルーインパルスはあったけど、派手なアトラクションはなく。みんなが精神性をもってそこに集まっている感じ。今は入場する選手もカメラを持ったりして、よくわからない感じもある」 ―五輪と言えば、フィギュアスケート男子の羽生結弦と親交がありますね 「(主演した)陰陽師という映画が好きだったんでしょうか。エンディングの僕の舞は回転技があったりもして、音楽性と舞のニュアンスを非常に気に入ってくれた。『SEIMEI』という作品にするとなったとき、スポーツとしてはこうあるべき、狂言としてはこうあるべき、陰陽師とはこういうことです、僕らはこういうつもりでやっていますと申し上げた。空間と時間をどう操るか。そういう意識で」 ―スポーツに狂言の世界観。難しい注文だが 「ウマが合ったのか、彼はよく聞き入れてくれた。あれだけ広い空間を一人で埋めないといけない。天地人という垂直軸と水平軸もあり、宇宙に向かう気持ち、氷という地面もあり、観客という人への意識もある。ジャンプするということは天への意識だ。そんな話をした。フィギュアスケートには職人的な技術力も必要だが、芸術性もある。単に回っていればいい、跳んでいればいいではない。アドバイスしたらすぐ変わった。元々その意識を持っていたから、僕の言ったことが響いた。そういう意味では羽生選手と僕は共通する。意識が近かった」 ―「SEIMEI」は羽生を代表するプログラムになった 「よほど体に合っていたのか。彼が選んでいる曲はためがあるものが多い。ためとか、こぶしとか、日本の伝統的なリズム感としてある気がする。天才だなと思いますよ。普通の人は言ってもできやしない。それができてしまう。僕が授けたような言い方になっちゃうが、彼の中で疑問の霧が晴れたということじゃないのか」 ―野球や相撲にも造詣が深い 「少年野球をやっていたし、野球は好き。キャッチャーとピッチャーの間合いとか。イチロー選手はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で最後に打ったシーンは、自分で実況中継をしていたらしい。僕も壁にボールを投げるときは2死満塁で最後の打者にむかって投げるとか、そういうことはよくやっていた。野球にはかなり演劇的な設定、緊迫感を感じる。2死満塁でどっちに転ぶか、劇的じゃないですか。相撲は初代貴乃花と北の湖時代が印象的。北の湖がヒール役で。相撲にも善玉悪玉があるんだと思ったり。貴乃花が初優勝したときは、ソファのクッションやらを投げたりして、母や姉と大歓喜した思い出がある」 ―狂言師でありながら、スポーツと関わり、映画も現代劇も 「軸は狂言。そこから発して狂言から離れていっても、最終的には表現という大きなネットワークでつながる。同心円の中心に狂言がある。いろんな方とお手合わせして、ズレも楽しみながらこちらの幅にしていく。狂言というのは師匠のまねをするわけですね。自分より巨大な経験があり、技術をもっている先生のコピーをする。人のふんどしをはくなというたとえもあるけど、自分がガリガリでふんどしがずり落ちてしまうなら、太らないと。自分サイズに合わせるんじゃなく、上のサイズに合わせていく。それが古典芸能で先生とか師匠に追随していく方法論にも通じる。その延長線上で、初めて会う人とはコラボレーションを楽しみつつ、技をちょっとずつ盗ませて頂く」 ―それにしても活躍の幅が広い 「狂言師はオールマイティーだという言い方もできる。狂言には様式や型があるけど、人間を活写する一つのプログラムでもあるから、ちょっと現代劇用に変換することで、通用する。近似値が近い。お能では難しいかもしれない。人間の演じ方というより、亡霊の演じ方だったりするわけで。人間の魂は演じるけど、現存する人間の演じ方とは違う。狂言は戦国時代が得意だけど、例えば江戸町人文化は歌舞伎の方が強い。江戸の長屋の話となると、ボクより歌舞伎役者や落語家さんの方が得意なのでは」 ―かつて父の万作さんから教えを受けたように、長男の裕基さんも厳しい指導で狂言師へ導いた 「僕自身は狂言サイボーグにされた思いもあるが、狂言以外でも、狂言が有効だと感じられるときにやっていてよかったと、(CMの)公文式のようになるわけです。息子を教えるとき、(まだ)自分の意思ももっていない子に狂言をさせていいのかと葛藤した。目が覚めたら本郷猛は仮面ライダーだった。驚くわけです。同じように低学年になって自意識がでてきたときに、なんで狂言やっているのかと思うだろう。それをよしとするか、迷惑だと思うのか。僕は苦しんだ。ただ、サイボーグにするなら徹底的にやらないと。生半可なサイボーグができてしまったら、それこそ戦えない。超高性能なものに仕立てないといけない。腹をくくったら、親という立場から決別して、後継者に対しては鬼のようにやらないといけない」 ―ときに非情になった 「好きとか嫌いとかを超えたところでプログラミングしていく。普通は耐えかねてやめるかもしれないが、子供はそうはいかない。日本の古典芸能の良さはプロセスを楽しむことにもある。芸もできない小さい子役が、やがては大きくなっていい役者になるだろうと思って育てる。このシステムは世界をみたってない。将棋や囲碁のように、最初から天才はいないですよ」 ―2021年1月17日には名古屋能楽堂で「万作を観る会」(中日新聞社後援)が催され、万作さんと出演する 「例えばお辞儀にしても、若いうちは型でしようとするから、何となくサイボーグのように見える。それがだんだん人間味になっていく。ウチの父を見れば、型なんかどこにあるんですかというくらい、型を超越した自然の芸に見える。笑いは免疫力をあげるという説もある。コロナ禍でちょっと閉塞(へいそく)感ある今、大いに笑っていただきたい」 ▼野村萬斎 1966(昭和41)年4月5日、東京生まれの54歳。本名武司。70年、3歳で「靭猿(うつぼざる)」の子猿役で初舞台を踏み、74年に初の海外公演(ハワイ)参加。85年、黒澤明監督の映画「乱」で映画初出演した。89年東京芸術大を卒業。94年、曽祖父・5世野村万造の隠居名「萬斎」を襲名した。映画やドラマ、教育番組に幅広く出演し、国内外でも狂言を披露し、多方面で才能を発揮している。2021年開催予定の東京五輪・パラリンピック開閉会式を演出する総合統括に就任している。
中日スポーツ