300年前の健康書が今さらながら心に刺さる理由 「養生訓」著者は平均寿命40歳の時代に83歳まで生きた
1713年に出版されて以来、日本で最も広く・長く読み継がれてきた健康書の古典『養生訓』。著者の貝原益軒(かいばら・えきけん)が儒学や仏教、武士道の精神を踏まえながら、よりよい養生術を模索して書き上げたもので、当時ベストセラーになったのみならず、その後も解説書や現代語への編訳が続いています。 300年も前の健康書がなぜ語り継がれているのか、その理由を内科医の奥田昌子さんが現代医学の観点も踏まえて編訳した『病気にならない体をつくる 超訳 養生訓』から一部を抜粋、編集してお伝えします。 【図で見る】養生の心構え「自分に嘘をつかない」「身の丈にあった仕事を」などのほかに何がある?
■元祖・日本人のための健康書 『養生訓(ようじょうくん)』は、江戸時代前期から中期に差しかかる1713(正徳3)年に出版されて以来、日本で最も広く、最も長く読み継がれてきた健康書の古典である。 著者の貝原益軒は医師であり、現在の薬学にあたる本草学をはじめ多くの分野に通じた大学者であるが、『養生訓』に小難しさはない。 バランスよく食べ、腹八分目にとどめ、体を動かし、過不足なく眠り、楽しみを見つけ、心穏やかに健康で過ごすことの大切さと、そのための方法が説得力を持って書かれている。いわば健康になるためのノウハウ書である。
『〔精選版〕日本国語大辞典』(小学館)は、養生を「生命を養うこと。健康を維持し、その増進に努めること」と定義している。養生の概念ならびにその方法は、8~9世紀に中国大陸から伝わり、長らく一部の知識階級のためのものだった。 鴨長明(かもの・ちょうめい)が1212年に執筆した『方丈記』には、「つねに歩き、つねに働くは、養性なるべし。なんぞ、いたづらに休み居らん(よく歩き、よく働くことは養生に役立つ。なぜ、休むなどという無益なことをするのか)」という記載がある。
「養生」よりも「健康」という言葉が多用されるようになるのは、明治政府が西洋医学を重視する政策を取って以降のことである。 『養生訓』は出版されるやたちまち評判になり、幕末にあたる1864年までの約150年間に12回も重版された。明治時代以降も解説書を含めて繰り返し出版され、例えば1982年発行の講談社学術文庫『養生訓』(貝原益軒著、伊藤友信訳)は、2022年までの40年間に65回増刷されるロングセラーになっている。