「お前を見に来る子のため」 長嶋監督のプロ魂 不服だろうがこれからはそういう気持ちで 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲<19>
《昭和50年オフ、高橋一三投手、富田勝内野手との1対2の交換トレードで晴れて〝巨人・張本〟になった》 移籍1年目(51年)、オフの間に10キロくらい体を絞り、ベストの82、83キロで臨みました。体調は万全でした。5月から6月にかけて30試合連続安打を記録した。当時の記録は阪急の長池(徳二)が作った32試合だった(※ちなみにプロ野球記録は54年に広島・高橋慶彦が達成した33試合)。あと「2」に迫ったとき、アクシデントが起こったんです。 6月22日の大洋戦(後楽園)の試合前の練習で右足に自打球を当ててしまった。ものすごく腫れて、黒江(透修)コーチに見せたら「こりゃ、だめだ」って言う。トレーナーも「無理ですね」って。湿布してテーピングしてベンチにいました。 東映時代なら休んでいたでしょう。たとえば死球を受けるでしょ。私の筋肉は柔らかい。柔らかいのはいいけど、ケガに弱い。今でも傷が残ってます。ボールが当たって骨が変形して、出っ張っている。(当たった直後は)痛くてバットも振れない。腕が上がらず歯も磨けない。振れないと打てない。打てないとチームに迷惑をかけるから休むわけです。病院に行って診断書をもらって、監督も納得したけど、マスコミにたたかれました。 「張本は打率維持のために休んだ」ってね。でもプロ野球選手は完全な体で最高の技術を見せてこそ、お客さんが喜ぶ。けがをして出るのは、逆に失礼だというのが私の考えだった。 でも巨人では違ったんです。試合前、黒江コーチが「監督が呼んでいる」と言うので監督室に行きました。湿布など全部外して「これじゃ、ちょっと歩けません」と見せたら、長嶋茂雄監督は「こりゃ、ひどいなっ」って言いながら「とにかく出ろ!」って言う。「エッ? この人、おかしいんじゃない」って思った。「五回までは出ろ。だめだと判断したら俺が代えるから。全力で走らなくてもいいから」ってね。再び患部をグルグル縛って出ましたよ。黒江コーチも「監督命令だから」って。痛みをこらえて出ました。 《長嶋監督の言葉に感銘…》
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