<憲法記念日>日本国憲法には“誤植”がある?
憲法とはどういう国にするのかという哲学
憲法について考えるのであれば、まずは現行憲法を読み込み、かつ、ほかの憲法と比較することが大切です。その対象として、先進各国の憲法のほかに、戦前の帝国憲法も含めることを倉山さんは提案します 。 「そもそも憲法というのは国家体制そのものです。そうである以上、歴史・文化・伝統に根ざした議論をしなければなりません。そうなれば比較対象は必然的に日本の歴史・文化・伝統を文言化した帝国憲法になります」 大日本帝国憲法はすでに歴史の中にしか登場しない憲法となっています。しかも、その中身に対する知識は、いろいろな評価はありますが、あまり教えられていません。日本国憲法がアメリカに押しつけられた憲法であるならば、日本人が自ら研究してつくりあげた帝国憲法は、自主憲法を考える上で一つの参考になるというのです。 「明治政府は不平等条約を撤廃させるために樹立しました。欧米列強が有色人種を『文明国ではない』という口実で侵略をしていた時期です。その口実を封じるためには軍事力、そして文化力が必要でした。文化力こそが憲法なのです。ですから、木戸孝允、高杉晋作、大久保利通、伊藤博文らは、欧州列強に認められる憲法をつくる必要があった。そうしてつくりあげたのが帝国憲法でした」 倉山さんは、憲法とは「未来に対して日本をどういう国にするか」を伝える哲学のようなものだと語ります。憲法を改正するにせよ、憲法を維持するにせよ、いまの憲法に改めてしっかり向き合う必要があるのかもしれません。 (ライター・宇城健弘)