新庄剛志語録満載の50分 「試合中にインスタライブ」仰天構想 も明かした就任会見「僕は、普通に会話したことが名言になっちゃ う」
「優勝は目指さない」 「試合中にインスタライブ」 「天井から降りたい」 「僕は、普通に会話したことが名言になっちゃう」 日本ハム新庄剛志新監督の就任会見はフォトセッションも含めおよそ50分にもおよび、まさに“新庄劇場“と呼べる新庄語録満載のものとなりました。 会見の全文は以下の通り。
就任のあいさつ
新庄剛志新監督) きょうは集まってもらいありがとうございます。1946年、今から75年前、横沢(三郎)監督第一代目。そこから21人目の栗山(英樹)監督。その次に22代目の監督として選ばれたことが非常にうれしく、また選手兼監督というかたちで契約を結んでもらいました。 取締役) いやいや、監督だけです。 新庄剛志新監督) すみません、監督だけでした。監督らしく今日はビシっと監督っぽい格好で来ました。これからは顔を変えずにチームを変えていきたいと思います。
報道陣との一問一答
――率直な心境は? 正直、自分が一番びっくりしています。はい。僕でいいのかなという思いの半面、僕しかいないなと。日本ハムも変えていきますし、僕がプロ野球を変えていきたいなという気持ちで帰ってきました。 ――監督オファーはいつ頃、はじめて聞いてどう思った? あのですね、2年前、僕が48歳でトライアウトをうけるという発言をして、1年間海外でトレーニングをしました。トライアウト前に日本ハムの球団の方から、「新庄剛志さんお元気ですか?トライアウト頑張ってください。いつかまた会える日を楽しみにしています」と来たんですよ、1通のメールが。よしよし、選手に戻れると。そのオファーだなと思いトライアウトをうけました。6日間しか待たないと、6日間こなかったら野球を辞めると。 5日目たち6日目たち、(オファーが)こない。あら!?おかしいじゃないかと。そこで選手は復帰できなかったけど、あの1通のメールは必ず何かあると自分で勝手に信じて1年間12球団2軍選手のプレーを自分で勝手に勉強して、こういう姿は必ず誰か見てくれている。 それを信じて10月12日になんと僕が描いていた監督の話をいただいて、もう自分がやってきたことは間違いじゃなかったんだという、本当にやってきてよかったなという気持ちですね。 ――オファーの理由や期待していることは何と伝えられた? 優勝なんか一切目指しません、僕は。優勝、高い目標を持ちすぎると選手はうまくいかないと僕は思っているんですよ。1日1日地味な練習を積み重ねてシーズンを迎えて、それで何気ない試合何気ない1日を過ごして勝ちました。勝った勝った勝った勝った…それで9月あたりに優勝争いをしていたら「さぁ!優勝を目指そう」と、そこの気合の入り方が違うと思うので、そういうチームにしていきたいと、優勝なんかは目指しません。 ――相談したかたは? 相談は、僕はするタイプじゃないので、僕の人生は相談する人なんかいません。相談する人は自分自身なので、即行動に移します。自分で決めます。 ――オファー来てから決めるまでは? 1秒1秒!お願いします!やります!すぐですよ!当然でしょ!だって1年間それを目指してやってきたんですから。 ――1番の決め手は? いやいや監督になりたい。やっぱりバリで生活していて日本ハムの調子が上がっていない3年間を見たときに「俺の出番だろう」という気持ちで過ごしていました。 ――監督の存在は? イメージ的には堅い、まじめな顔して腕組んでやっているようなイメージなんですけど、これからは僕が監督像というものを変えていきます。 ――今思い描いていることは? これから1年目ですし、どういうふうになるかわからないですけど、やっていくうちに僕がやることに対して全国のみんなが僕の監督像というものを作ってくれると思うので、それを期待したいですね。 ――名刺には「ビッグボス新庄」と書かれていたが? 監督ってみんな呼ばないでください。「ビッグボス!」「ビッグボス!」でお願いします。「ビッグボス!」が好きなんですよ。新庄監督とか僕いらないですね。監督っぽいじゃないですか。ビッグボスでお願いします。 ――その理由は? インドネシア・バリ島で「ビッグボス」と呼ばれていたので、それで。僕の人生なんてそんなものなんですよ。そのときそのときで(頭の)コンピューターでこうしたいと突き進んでいるだけなので。小学校3年生が中学生になったくらいですかね。 ――引退から15年、この間の野球との関わりは? まったくないです。引退して野球を見ることはほとんどなかったですね。だからある意味、今のプロ野球、若い子が「時代が時代が」って、なんか時代に逃げている感じがするんですよね僕は。だからいい意味でも悪い意味でも16年間向こうにいて時代をわかっていないので、新庄剛志らしく、どんどんどんどん時代の怖さなんか関係なく突き進んでいけたらいいなと思っています。 ――トライアウト受験から野球と接近、どんな変化が? もちろん選手にもなりたかったんですけど、最終的な目標はここだったんですよ。野球が大好きで、やっぱり僕は野球が好きなんだなと。とりあえず話題性というか、真剣に受けにいったんですよ。でも最終的な目標はトライアウトで皆さんに注目をしてもらいファンを集め、その次の年に監督になれたら、そのファンたちが流れてきてくれたら最高だなという気持ちでトライアウトはうけました。 ――外から見て日本のプロ野球の印象は? そう来たか。印象はね、あんまりですね。コロナというこういう時代でファンが球場に足を運べなかったのでちょっと暗かったような印象はありますね。僕が帰ってきたからにはコロナはなくなり球場満員になりますよ。そういう運命なので僕は。 ――どういうふうにファイターズを変えていこうと。また、新庄ビッグボスの色をどのように出していくか? まずは顔を変えていこうかなと思っていいですか。気持ちの面ですね。このプロ野球という世界に入ってくるという選手というのは一緒なんですよ。レベルはもうほぼほぼ一緒。だだメンタル的な問題であってメンタル的に伸ばせないコーチ、監督がいたと思うんですけど、僕はそのメンタル的なものに関してはすごく引き出す力が自分にあると思う。 メンタル的なものを鍛えながらあとはチームにピッチャー3人、野手4人のタレントを作り上げていけば楽しいチームになるし、そういうタレントが生まれるということは全国に名前も背番号も顔も覚えてもらえるんで、そのときにはもう強くなっていると思うのでそういうチームを作っていきたいと思っている。 今年ドラフト(全体)で80人弱取ったんですよね。今年、僕が監督になって全員がドラフトでかかった選手だと思っているのでレギュラーなんて一人も決まっていません。新人、2年目、3年目の選手がキャンプでグアッと伸びたときに全部若い選手で固めるかもしれないし、開幕投手が誰とか全く決めていないし、今年入ったドラフト1位の子が開幕投手投げているかもしれないし、そういった争いをどんどんさせたいと思いますね。 ――北海道の生活で楽しみにしていることは? 僕ふるさといっぱいあるんですけど、その一つが北海道であって住みやすいですし、僕寒いのは好きなほうなんであとおいしいものがたくさんある。これから家の方を探しに行っていい家が見つかったら最高ですね。 ――SNSの発信は今後も続けていくか? それはね、球団の方と話し合いをして。僕、結構至らんことをあげるから。そのへんちょっとルールを作ってもらって。本当はね、いまの時代SNSってものすごく大事なものだと思うんですよ。だからできたら試合中にインスタライブとかさせてもらったら最高だなって。このへんは話し合いを詰めていくのでまた報告しますすみません。 ――ファイターズファンのみならず全国民にメッセージを 暴れまっせー!ほんまに楽しみにしててください!新しい野球というものを作っていきますので乞うご期待。あと最後に、僕と稲葉くんとタッグを組んでいくんですけど、僕たち1年目じゃないですか。この上で吉村前GMという人の力というものはものすごく大事になってくるし、吉村GMがいてくれないと嫌だし吉村GMの推薦で僕はこの場にこの場所にいられるんで。これからはわからないことがあったら吉村GMに聞いて、相談してケンカしながら稲葉GMと一緒にタッグを組んで、もちろん球団もあとはファンのみんなと一緒に楽しく厳しくやっていきたいなと思います。