【引退特別企画】同窓対談・前編…篠崎澪×内野智香英(富士通レッドウェーブ)
4月17日に終えた第23回Wリーグ(2021ー22シーズン)。幾多の選手がこのシーズンを最後に、現役生活にピリオドを打つ決断。 富士通レッドウェーブの一員としてプレーオフ・ファイナルを戦った篠崎澪と内野智香英の2人も、それぞれ5月2日にSNSを通して引退を発表した。 篠崎は、松蔭大学を卒業後、2014年に富士通へ入団。1年目からスターターとして出場し、新人王も獲得。8シーズンを戦い抜いた。昨夏の東京オリンピックでは3x3女子日本代表として5位入賞も果たしている。 一方の内野は、2015年に松蔭大学からシャンソン化粧品シャンソンVマジックに入団。3シーズンを戦った後に富士通へ移籍し、4シーズン、富士通の主軸として奮闘した。 ともに松蔭大学出身の2人。学年は篠崎が一つ上だが、仲の良い彼女たちにこれまでのバスケット人生や互いについての思いを聞いた。 取材・文=田島早苗
決意を持って臨んだシーズンを終え、今は社業に専念
――ファイナルから約2カ月が経ちました。 篠崎 ファイナルが1年ぐらい前のことのようです。私の中では仕事に切り替わっているので、だいぶ昔に感じます。 内野 私もです。シーズンが終わってから少し休み、その後は(会社の)研修。それを終えて(所属の部署に)配属され、毎日頭を使っています。 ――2人とも富士通で社業に専念? 篠崎 はい。今は覚えることもたくさんあるし、まず、何を覚えていいのかも分からない状態(笑)。私の部署は、自分たちでイベントを企画して進めていくような仕事をしています。 内野 私は数字を扱う仕事が多くて頭がいっぱいいっぱい。でも、レッドウェーブOGの小沼めぐみさん(2016年度引退)が同じ部署で、いろんなことを教えてくださっています。 ――さて、改めて引退を決断した経緯を教えてください。 篠崎 この2、3年、モチベーションが思うように保てなかったというのがあります。それと、入団前から東京オリンピックに出るという一つの目標がありました(オリンピックの東京開催が決まったのは2013年9月)。そのオリンピックに出場させていただきましたし、これが一つの区切りかなと。いろんな理由が重なっての引退でした。 ――一昨シーズン(2020-21シーズン)での引退も考えていたそうですが、そこから1シーズン伸ばし、東京オリンピック後もプレーすると決めた理由とは? 篠崎 オリンピックのメンバーに選ばれなかったり、オリンピックに出たとしても自分の納得いく結果が出せなかったりしたときに、そこでキッパリと(現役を)終われるかなと考えたら、それだと絶対に悔いが残ると思ったからです。それと、リツ(内野)も含め、いろんな選手が「あと1年一緒にやろう」と言ってくれました。アース(宮澤夕貴)もそうですし、特にルイ(町田瑠唯)とは長い間やってきたので、ルイが「あと1年一緒にやって優勝を目指そう」と言ってくれたことはすごく大きかったですね。 ――内野さんは引退を決断したのはいつ頃でしたか? 内野 一昨シーズン(2020-21シーズン)が終わったときに、体や気持ち、モチべーションの維持が難しく、これ以上のパフォーマンスを出せないかなと感じました。だから、もう1シーズン、しっかりプレーして終わろうと。(2021-22の)シーズンが始まる前には決断していました。 アトムさん(篠崎の高校、大学時代のコートネーム)が東京オリンピックで引退の予定だったので、アトムさんを見送り、私自身はあと1シーズン頑張って終わろうと。でも、(2021-22シーズンも)プレーしてくれたので、一緒に引退です。 篠崎 「(引退を)合わせたの?」ってよく聞かれるんですけど、合わせてはないです。 ――篠崎さんがオリンピック後のシーズンもプレーすると聞いたときは? 内野 とてもうれしかったですよ。 篠崎 ちょうどその頃、リツの実家に行ってたんですよ。リツのお母さんはいつもよくしてくださるのですが、私が「もう1年やります」と言ったら泣いてしまって。 内野 一番号泣してたよね。「よかったー!」って。 篠崎 ね。本当にありがたかったけれど、あれはちょっと面白かった。 内野 私もうれしかったけれど、母が号泣しているのを見て、なんかちょっと冷めた(笑)。 ――振り返ってどんなバスケット人生でしたか? 篠崎 周りの方に支えられたバスケット人生でした。 内野 ミニバスからずっとチームメートに恵まれたし、家族などいろんな方のおかげでここまでくることができたと思っています。