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【ドラフト回顧・1980年】新生巨人に原辰徳、凄みを増していく西武のドラフト

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今年もまた、ドラフト会議が近付いてきた。1965年秋からスタートし、今年で56回目。制度をさまざまに変えながら歴史を紡いできた。ここでは2019年のドラフト会議まで、1年ごとに振り返っていく。 石毛宏典が西武黄金時代のチームリーダーになった理由は?

原辰徳、石毛宏典が注目

 巨人・長嶋茂雄監督の電撃解任の衝撃の余波が残る中で行われた1980年のドラフト。注目は東海大の原辰徳とプリンスホテルの石毛宏典。ともに強打の即戦力内野手と言われていた。  巨人と相思相愛だった原は競合の末、巨人の藤田元司新監督が当たりクジを引き当てた。大洋、日本ハム、広島と競合し、藤田監督は3番目に登場。「爪を切ったので、取りたい底の封筒が取れなかったのだが」と笑顔で語った。原はセカンドでスタートも中畑清の負傷でサードのスタメンを奪取。そのまま優勝、日本一に貢献し、新人王。“持っている”ルーキーだった。  プリンスホテルの石毛は当初から「西武ならプロ入り。ほかは断ります」と話していたが、阪急が敢然と挑み、競合の末、西武へ。阪急の外れ1位・川村一明(松商学園高)は拒否し、プリンスホテルと二重のショックだった。さらに日本ハム1位の高山郁夫(秋田商高)も拒否し、プリンスホテル入社。2人は、のちのドラフトで西武入りし、根本陸夫(80年当時は監督)率いる西武のドラフト戦力が凄みを増していく。ただ、プリンスから中日に1位された捕手・中尾孝義はなぜかすんなり入っている。  指名会見の表情がさえなかったのがロッテから1位指名された横浜高・愛甲猛。最終的には入団したが、当時のロッテは人気もどん底。「もっとも指名されたくない」球団とも言われた。 【1980年ドラフト12球団1位】 南海 山内和宏(リッカー/投手) 中日 中尾孝義(プリンスホテル/捕手) 阪急 △川村一明(松商学園高/投手) 阪神 中田良弘(日産自動車/投手) 西武 石毛宏典(プリンスホテル/内野手) 大洋 広瀬新太郎(峰山高/投手) 日本ハム △高山郁夫(秋田商高/投手) 巨人 原辰徳(東海大/内野手) ロッテ 愛甲猛(横浜高/投手) ヤクルト 竹本由紀夫(新日鉄室蘭/投手) 近鉄 石本貴昭(滝川高/投手) 広島 川口和久(デュプロ/投手) ※△は入団拒否し、その後の指名でプロ入り  広島の1位は故障していたはずのデュプロの左腕・川口和久。伝説の名スカウト、木庭教の隠し玉だった。ほか南海1位がリッカーの山内和宏、近鉄1位が滝川高の石本貴昭と、のちタイトルも手にする投手の実力者の名前がある。  2位にも好選手が多く、巨人が駒田徳広(桜井商高)、近鉄に大石大二郎(亜大)ら。ほか3位に大洋・高木豊(中大)、阪急・弓岡敬二郎(新日鉄広畑)、西武・杉本正(大昭和製紙)がいた。 写真=BBM

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