「マイクロ・タイソン」石澤開、後楽園ホールで引退式 「『ありがとうございました』の一言につきます」
プロボクシングの元日本ミニマム級王者の石澤開(28)が29日、現役時代に所属していたM・TジムとKG大和ジムの共催興行で東京・後楽園ホールのリングに上がり、引退式を行った。6月に現役引退を表明していた。 石澤は観客から大きな拍手をもらい、10カウントゴングを聞いた。涙は見せず、すがすがしい表情で日本ボクシングコミッションからの記念品を受け取り「非常にたくさんの思い出がある後楽園ホールでこのような機会をいただき、本当に光栄に思います。たくさんの方々に支えられて、今までボクシング生活を送ることができました。本当に『ありがとうございました』の一言に尽きます」と感謝の言葉を述べた。 M・Tジムの村野健会長は「日本タイトルマッチ、世界タイトルマッチもこの後楽園でやらさせていただいた思い出の場所であります。ここで10カウント(ゴング)っていうのも、何かの巡り合わせかなと思って、喜んでいるようです。人生の第2ラウンドになりますが、皆さま、石澤のことをこれからもよろしくお願いします」とあいさつした。 石澤は14歳でボクシングを始め、神奈川・武相高時代はボクシング部主将を務めた。日体大体育学部に進学し、在学中の2017年6月に6回戦デビュー。6戦連続KO勝利で、19年9月に日本ミニマム級挑戦者決定戦として谷口将隆(ワタナベ)と対戦。5回に右フックでダウンを奪うも、0-3の8回判定負けで、プロ初黒星を喫した。22年1月に日本同級王座を獲得し、同4月にWBO世界ミニマム級王者だった谷口との再戦で世界初挑戦。前日計量で2・3キロ体重超過し、当日計量をクリアして試合は実施されたが、11回TKOで敗れた。 昨年6月に再起戦のフライ級8回戦で5回KO勝ちしたが、10月にIBF世界フライ級15位だったビンス・パラス(フィリピン)に1-2の8回判定負け。今年4月に敵地でWBOグローバル・ライトフライ級王者のレジー・スガノブ(フィリピン)に挑戦し、8回TKO負けしたのが最後の試合となった。世界戦の約1カ月前から左滑車神経まひを患っており、22年11月には手術を受けた。 「負けたときにあんまり前みたいに悔しいという感情が芽生えず、目を手術していたり、体のダメージとか、昔より反応が遅くなっていると感じた」などと引退を決意した理由を説明していた。
今後については未定で、中学校と高校の体育の教員免許を持っているが、今のところ指導者の道は考えていないという。現在は英語を勉強中で来年の留学を検討している。身長156センチながら高いKO率を誇るハードパンチャーで「マイクロ・タイソン」という愛称を持っていた石澤は、第二の人生に向けて1、2年の充電期間を過ごす。プロ戦績は15戦11勝(10KO)4敗。(尾﨑陽介)