<サッカー五輪>ヒーロー原川を奮起させた代表落ちの過去
14年1月にオマーンで開催されたU-23アジア選手権のグループステージ初戦、開始7分でイランに先制点を与えた2分後、左サイドからペナルティエリアに侵入して右足を振り抜くと、カーブのかかったコントロールショットがワンバウンドして逆サイドネットを揺らした。 「イメージはもう少し上だったんですけどね。早めに失点してしまったので自分が取ってやるという気持ちで狙っていました」 その後、メンバーを入れ替えたクウェートとの2戦目は途中出場、オーストラリアとの3戦目、イラクとの準々決勝ではスタメンを飾り、全4試合すべてに出場した。 実はこのとき原川は、遠藤航、大島僚太が負傷のために辞退したことによる追加招集だった。大会が終わったあと、手倉森誠監督は思わず、本音をこぼした。 「原川を呼んでいなかったら、どうなっていたかと思うよ」 こうして原川は手倉森ジャパンのコアメンバーの一人となったが、その後コンスタントに呼ばれ続けた原川が一度だけ招集されなかったことがある。それは15年7月、U-22コスタリカ代表との親善試合。遠藤と大島の牙城を崩せず、MF井手口陽介が台頭し、横浜F・マリノスでポジションを確保したMF喜田拓也が代表復帰したため、押し出される形で落選したのだ。 その直後の8月、京都で行われた合宿中に原川は、こんな風に語っていた。 「競争というのは絶対にあるので、それを受け入れながら自分が成長していくしかない。外れて良かったとは思いませんが、自分を見つめ直す機会にしないといけない。自分をより前に出すというか、ボランチでももっと前に行かないといけないですし、もっとシュートを打つべきだと思いますし、自分のプレースタイルを変えなあかんと思いました」 シュートへの姿勢、攻撃参加への意欲については、今大会中にも言及している。途中出場した北朝鮮戦の翌日のことだった。 「そこ(シュートの少なさ)が自分の課題ですし、監督もそこを求めてくれているので課題を克服するチャンス。どんどんチャレンジして、成長していきたいと思います」 その2日後、先発出場したタイ戦ではオナイウ阿道からのマイナスのクロスを受けるとドリブルで左サイドに運んでセンタリング。矢島慎也のヘディングゴールをアシストした。攻撃への意欲は確実に高まっていたのだ。イランとの準々決勝で120分間プレーした原川を、イラクとの大一番にも先発で送り出した手倉森監督は、同じくコンスタントに招集してきた矢島慎也とともに賛辞を贈った。 「力や(矢島)慎也はいぶし銀ですよ。彼らにはチームのシステムを自在に変えてくれる能力がある。困ったときにいてくれるから安心している、と彼らにも話した。成長していますよ。力は京都では最後、試合に出られていなかったけど、このキャンプではものすごく能力を発揮してくれていた」