地面出し競争 豪雪の山形・肘折で逆境を楽しむ人々
「地面出し競争?何それ!?」
もともと地面出し競争は、2009年に閉校した早坂さんの母校、肘折小・中学校の雪上運動会で28年間継承されてきた伝統行事だった。 北海道大学在学中、地面出し競争や豪雪の話を友人にすると「何それ!?」と話が盛り上がった。出身地・肘折の面白さを実感したという。当時から地元以外の人も参加できるイベントにしたいと考えていた。 物理に興味を持って北大の大学院まで進み、東芝に就職。2年間システムエンジニアとして働き、実家建て替えを機に2005年にUターンした。親に継げと言われたわけではなく、北海道や東京にもすぐに馴染めた。「夢が研究をすることだったので思い切りできて満足」。肘折に一軒しかないそば屋「寿屋」の4代目となった。
念願のイベント化
肘折小・中学校の閉校を知り、これだけは残そうと地面出し競争のイベント化を提案した。雪上運動会は大人も参加する行事だったので、みな地面出し競争に思い入れがある。話は盛り上がった。他のイベントと組み合わせる案も出たが、押し切った。地面出し競争一本のほうがインパクトがあって話題になるという自信があった。 翌年に第1回大会を開催。当時は9チームでほぼ地元からの参加だったが、毎年40チーム前後が参加する名物イベントに育った。
旧小中学校で開催することの意味
「町おこしをしたいわけではない。地面が出るまでの大変さと出た時の喜びをいろんな方に体験してもらいたい。で、僕がその姿を見て楽しみたい」。早坂さんはいたずらっぽく笑う。参加費は一人500円と安い。面積の都合で40チームまでが限界で、申し込み開始1週間で埋まることもある。村のスキー場もあるが大規模化は考えていない。人々の記憶が残る旧肘折小・中学校で開催することに意味があるのだ。
肘折地区の人口は今年2月現在で297人。ひなびた温泉街にみやげ屋兼商店が数軒という集落で人口減少に歯止めはかからないが、早坂さんはあっけらかんと言った。「今のペースで人口が減ると30年後には0人。でも、そう計算通りにはならない。人は少なくなっていくと思うけど、それなりになっていくんじゃないかな」 「今年の雪は固かったね」「来年も待ってるからな」。地面出し競争の前夜祭から大会終了まで、肘折に笑い声が響き続けた。
この記事は、復興庁の「新しい東北」情報発信事業として、日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)が実施した東北ローカルジャーナリスト育成事業の受講者による作品です。執筆:阿部香菜子
阿部香菜子