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【望月衣塑子の社会を見る】 黒川事件 賭け麻雀辞任で「本質」に幕引きでいいのか

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ニュースソクラ

懐に入りこみつつ、権力を斬るのがジャーナリズム

 最初は小さな波だった。「1人でTwitterデモ #検察庁改正法案に抗議します」。  5月11日。30代の女性会社員「笛美さん」がウェブの世界の片隅で始めたデモの波紋は、やがて泡を立て、たちまち大きなうねりとなった。文化人や芸能人にも広がり、女優の小泉今日子さんや大竹しのぶさんら著名人もハッシュタグをつけてツイート。呟きは900万を超えた。  広告関係の仕事一筋で過ごしてきた笛美さんは、政治の関心が元々、強いわけではない。国会中継をちゃんと見たきっかけは新型コロナウイルスだった。外出自粛で国民の生活が苦しくなるなか、「お肉券」などピント外れの政策が浮上したことに疑問を感じたから、という。  ニュースでは仕事をしているように見える閣僚が実はちゃんと質問に答えていないこと、市民と同じ感覚で突っ込んでいる野党もいることに気付いた、とブログに記している。  政治において、絶対的な「真ん中」は存在しない。人によって関心事も濃淡もスタンスも違う。人は他人との間で価値観の違いやズレを感じたとき、「おや?」「あれ?」といった感情がわく。日本の多くの人は、社会生活を送る上でそれをあまり表に出すことがない。  穏便で円満な関係を保つには踏み込まない方がお互いに楽だからだ。特に著名人はファンやスポンサーから敬遠されるリスクを考えれば、政治発言は「百害あって一利なし」であって、所属事務所やマネジャーも反対するだろう。「アイドルは恋愛禁止」と同じロジックだ。  しかし、それは所詮、損得を優先した行動でしかない。笛美さんもツイートデモに加わった著名人や一般市民も、損得だけならわざわざ声をあげる必要はない。なぜ多くの賛同者が続いたのか。コロナ対策を優先して国民の生命と財産を早急に守らなければならない時期に、「えこひいき検事長人事」の正当化をもくろむ政府に対して、絶望に近い違和感を持ったからではないだろうか。「今、そんなことしている場合か」と。  そもそも、法案に先立って閣議決定された黒川前東京高等検察庁トップの検事長の定年延長は法的根拠がなく、違法性が高い。検察官の定年は国家公務員法ではなく、特別法の「検察庁法」で規定されるというのが長年の法解釈だった。実際、1981年の政府答弁は「検察官に適用しない」と明言している。国会でも野党が批判し、自民党内でも疑問の声が漏れた。元検事総長ら検察OBも異例の抗議文を出した。抗議の波はこれまでになく高い水準にまで達していた。  政府が黒川弘務氏の定年延長にこだわった背景を少し補足したい。発端は昨年11月末。今年の2月初めに63歳の定年を迎える黒川東京高検検事長(当時)の後任に林真琴名古屋高検検事長(同)を当てる法務省案を、官邸が突き返したことだ。12月の東京高検検事長人事が異例の凍結となり、1月31日の閣議決定で黒川氏の任期を延長した。  官邸、特に菅義偉官房長官が黒川氏を高く買っており、延長の表向きの理由は「ゴーン事件など重大事件の処理がある」「余人を持って代えがたい」とされた。だが、検察が現在扱う政治案件は、広島地検が捜査中の河井案里参院議員陣営による公選法違反事件ぐらいだ。  案里氏の夫の河井克行前法相は菅氏の子飼いで、案里氏が当選した参院選での裏金配布に関与した疑いも既に報じられている。克行氏の関与や、1億5千万円にのぼる自民党本部からの資金の流れについても今後、捜査で明らかになる可能性は高い。  一方、東京高検検事長は広島地検の事件指揮はできないが、検事総長なら関与の余地ができる。官邸が黒川氏を将来の検事総長に考えていたことは明らかで、ほかに延長する理由がない。森雅子法相の答弁からわかるように、延長の基準もない。検察の捜査に関与しようとする政権の「下心」は丸見えで、それが抗議という火に油を注いだ格好だ。  政府・与党はこれらの抗議を無視して強行採決する腹づもりだった。いずれ抗議はおさまると思っていたのだろう。この民意の読み間違いに、私は政権の機能低下ぶりを感じていた。  ところが、週刊文春による「賭けマージャン報道」で事態は急転する。緊急事態宣言発令中の5月1日と13日に、黒川氏と産経新聞の記者2人、朝日新聞元記者の計4人が賭けマージャンに興じていたことが発覚。安倍首相は世論の反発などを踏まえ、17日の夕方には、法案見送りを菅氏に指示した。  奇妙だったのは、読売新聞が翌18日の朝刊1面で「検察庁改正法案見送りへ」と書き、同日朝のNHKが「検察庁改正法案、20日にも強行採決」と真逆のニュースを流したことだ。各社は読売新聞の報道を後追いしたが、NHKは最後まで遅れた。安倍政権に強いNHKでは非常に珍しい。官邸内では、強行採決を望む菅氏と、拡大する世論の批判を考慮し、法案を見送るべきだとする今井尚哉首相補佐官との間で対立があったと聞く。  23日の読売新聞には「菅さんが『やった方がいい』と言っている。仕方がない」と、安倍首相が周囲にぼやいたという話まで紹介されていた。マスコミ報道においても「真ん中」は存在しない。この記事は、首相ではなく菅氏の主導と強調するために書かれているようにも読める。  結局、賭けマージャン報道で黒川氏は辞職したが、これで違法な定年延長や政権による検察への関与の問題は解決していない。閣議決定はまだ取り下げられていないし、法案は廃案になっていない。私たちは政権の一連の動きを忘れてはならない。  最後に、同業者として賭けマージャン「事件」はすこぶる残念だった。彼ら3人のうち2人は、かつて私が司法クラブに在籍した頃からの顔見知りで、優秀な人物であるのは確かだ。でも同情はしない。  「検察の公正らしさ」を担保するため、権力による捜査機関への恣意的な関与を監視するため、同僚や後輩は連日、ネットでの抗議の動きや検察OBの反発について報じてきた。ところが、産経記者の1人は、定年延長を巡って各社が批判記事を書いていた最中に、閣議決定を追認するような記事を書いていた。今回の不祥事で「報道の公正らしさ」は棄損されてしまった。  相手の懐にまで深く入り込む取材は、時にスクープや深い解説記事を書くためには必要な行為だ。だが、筆が鈍るようではただのなれ合いだ。記者が権力側と付き合う理由について、たとえば、首相との食事会に出席する各社の政治部のお偉方は「オンレコでは聞けない、本音を引き出すため」と説明する。嘘ではないが、政府が黒川氏を「余人を持って代えがたい」というのと同じで建前でしかない。  番記者は担当を離れても、関係をつないでいれば、社内に取材メモを回すなどして影響力を行使できる。取材対象が出世すれば、自分も社内で出世する。そんな互助関係や世俗的な本音を伏せたままなのは、不誠実ではないか。国民からはとっくに見透かされているのに。  なぜ、私たち記者が、懐にまで入り込む必要があるのか。権力の内側に潜む問題を、内部をよく知る記者として世に出すためだ。だから心が通じた相手を、最終的には斬らなければならないこともある。その覚悟がこの3人にはなかった。信頼を失ったのは検察や政府だけではない。私たちメディアはもう一度、ジャーナリズムの意義を問い直す必要がある。 ■望月衣塑子(東京新聞記者) 1975年、東京都生まれ。東京新聞社会部記者。慶應義塾大学法学部卒業後、東京・中日新聞に入社。千葉、神奈川、埼玉の各県警、東京地検特捜部などで事件 を中心に取材する。2004年、日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑の一連の事実をスクープし、自民党と医療業界の利権構造を暴く。東京地裁・高裁での裁判を担当し、その後経済部記者、社会部遊軍記者として、防衛省の武器輸出、軍学共同などをテーマに取材。17年4月以降は、森友学園・加計学園問題の取材チームの一 員となり、取材をしながら官房長官会見で質問し続けている。著書に『武器輸出 と日本企業』(角川新書)、『武器輸出大国ニッポンでいいのか』(共著、あけび 書房)、「THE 独裁者」(KKベストセラーズ)、「追及力」(光文社)、「権力と新聞の大問題」(集英社)。2017年に、平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励 賞を受賞。二児の母。2019年度、「税を追う」取材チームでJCJ大賞受賞

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