なんで自分が…。がんで“生存率7割“を告げられたアナウンサーが「人に迷惑をかけない」をやめた理由
毎朝8時放送の「とくダネ」で長年、ニュースを届け続けた彼はフジテレビを退社直後に血液のがんである「悪性リンパ腫(びまん性大細胞型B細胞リンパ腫)」と診断された。フリーアナウンサーとなり、まさにこれからというタイミング。56歳の笠井信輔さんに突きつけられたのは「生存率7割」という数字だった。昨年11月、自身の体験を著書『生きる力 引き算の縁と足し算の縁』にまとめた笠井さん。寛解するまでの道のり、そしてより良い治療のために気付いた患者ができることとは。【BuzzFeed Japan / 千葉雄登】 【画像】アナウンサーの闘病を支えたTシャツのクセが強すぎる
「なんで俺が、なんでフリーになったこのタイミングで」
ーーフリーになる直前に最初の検査を受け、その後何度も検査を受ける様子も著書には記されています。フリーになった直後、「悪性リンパ腫」と診断されましたね。 退社する2ヶ月くらい前でしょうか、排尿障害があり、トイレに立つことが本当に苦しかったんです。20年間一緒に仕事をしていた小倉さんががんになったことで、同じような生活を送っていた僕も同じ病気にかかる可能性が高いと感じていました。 ですが、2つの病院では前立腺肥大と診断されて、ならばそうなのだろうということで治療を進めました。ですが、2ヶ月経ってもちっとも良くならない。治療にあたってくれていた医師も「おかしい」と考えたようで、泌尿器科ではなく血液腫瘍内科というがん治療を専門に行う科の医師に調べてもらうことになりました。 「これはがんかもしれない」と専門医の先生にも言われましたが、診断が確定するまでには時間を要しました。 「悪性リンパ腫」は血液のがんです。血液のがんの場合、がん細胞を採取することが難しく、なかなか見つからないことがあるということは後になって知りました。 僕の場合はがんと診断されるまで、どんどんと体重が減っていきました。あれだけ苦労してダイエットしていたのに、なんでこんなに急に痩せるんだろうと不思議でした。そして、腰の痛みも尋常ではなかった。排尿障害も酷くなり、漏らしてしまうこともありました。 だから、絶対に自分が何かしらの病気を抱えているという確信はあったんです。でも、何度検査を受けてもがんではないと診断されていた。だから、何か特別な病気なのかもしれないと、がん以外の可能性を考えていたんです。 ところが、PET検査という高額な検査を受けたところ、全身のあちこちにがんが広がっていた。「悪性リンパ腫」と診断されました。 「やっぱりがんでした」と言われたときはね、もうショックでしたよ。 それまで診察してくれた医師は何も悪くないとわかっていても、「あの時、がんじゃないって言ったじゃないか」と思ってしまうこともありました。 なんで俺が、なんでフリーになったこのタイミングで。なんで「悪性リンパ腫」と戦わなくちゃいけないんだ、って。 今は2人に1人ががんになる時代です。 僕は主治医に「生存率は7割です」と言われました。その数字を聞いた時、普段であれば70%も助かるのか、圧倒的多数じゃないかと感じると思います。でもね、30%の確率で死ぬかもしれないという病気はなかなかありません。 だから、この3割という数字はとても高い数字だなと受け止めました。これはただごとではないと。