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「同姓同名、同い年」が生んだ縁 犠牲の少女の遺族と交流 東京の女性が御巣鷹の尾根で初の祈り

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上毛新聞

 「キウチ・シズコ」。テレビで伝えられた日航ジャンボ機墜落事故の犠牲者の少女は、自分と同姓同名、同い年だった。そんな不思議な縁から他人と思えず、遺族と交流を続けてきた。東京都港区の木内志津子さん(52)だ。4日、初めて事故現場となった群馬県の御巣鷹の尾根(上野村)に登り、慰霊登山を果たした。墓標を前に「35年分の思い」を込め、祈りをささげた。

◎35年分の思い 「コアラのマーチ」とともに捧げる

 35年前、当時17歳だった志津子さんは都内の自宅で受験勉強中に、事故を知った。犠牲になったのは大阪府の高校生、木内静子さん=当時(17)。友人と神奈川県内を旅行し、帰る途中だった。ニュースの字幕を見て、志津子さんは眠れないほど動揺したという。

 「人生を歩みたくても歩めなかった同い年の女の子がいた」―。毎年の命日には手を合わせて祈り、事故の写真展も見に行った。ずっと静子さんや家族のことが心に引っ掛かっていた。

 2005年、志津子さんは偶然、静子さんのことを伝える新聞記事を見つけ、それから5年後に思い切って静子さんの母親に手紙を書いた。手紙や電話での交流が始まった。静子さんはチェッカーズの藤井フミヤさんや事故前年に発売された菓子「コアラのマーチ」が好きだったと知った。血のつながりはもちろん、面識もない。それでも志津子さんにとって第二の家族のような存在になっていった。

 4日。志津子さんは濃緑に包まれた登山道で尾根を目指した。10年ほど介護してきた両親をみとり、初めて慰霊登山を決めた。墓標を前に35年分の思いを伝えた。「落ち込んだとき、めそめそしたとき、静子さんの存在がいつもそばにありました。静子さんの分まで強く生きていきたい」。「コアラのマーチ」を供えると、「やっと会えた」と表情を緩ませた。

 静子さんの家族は事故の翌年の1986年、大阪府から群馬県沼田市に移住した。毎年、誕生日のある5月と命日の8月12日には慰霊登山を続けてきた。母親(74)は「今でも夢に出てきてほしいと思うほどかわいかった。事故から35年がたっても思いは同じ。しーちゃんに会いたい」。最愛の娘を失った苦悩は今なお消えることはない。それでも、静子さんを思い続けてくれる志津子さんの存在が一筋の光になってきたという。

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