ジョンソン英首相に難題山積 EUとのFTA交渉、香港問題・・・
【経済着眼】盟友のはずの米国とのFTA交渉も茨の道
英国のボリス・ジョンソン首相は、自ら招いた責任も少なくないが、世界のリーダーの中でももっとも多くの苦難に直面している。新型コロナウィルスの感染拡大と経済悪化、EU離脱に伴う自由貿易協定(FTA)の締結、親中路線の放棄による中国との関係悪化、スコットランドの独立などの幾多の難問の解決を迫られている。中国関係の見直しなどで米国と歩調を合わせつつあるものの、米国とのFTA締結も簡単ではない。 まずは、ジョンソン首相はEUとのFTA締結を急ぐとともに、新型コロナウィルス感染拡大に伴う世界経済の停滞の中で英国経済の立て直しにも立ち向かわねばならない。英国では新型コロナウィルスの感染拡大は深刻である。英国は米国、ブラジルに次ぐ世界第三位の感染者数、死者数(各々29.7万人、4.5万人)を記録している。 ジョンソン政権によるロックダウン(都市封鎖)や老人福祉施設への往来遮断などの決断の遅れを批判する声が強い。このため、一時50%を超えた政権支持率は再び30%台に低下している。 経済面でもロックダウンの影響等から英国の今年上半期の実質成長率が-30%、年間でも-14%と1709年の大寒波以来300年ぶりという景気後退に直面している。政府の雇用維持策にもかかわらず、失業率も9%とグローバル金融危機時を上回っている。 ジョンソン政権にとって最大の課題はEU離脱に伴うEUとの自由貿易協定(FTA)を締結することだ。しかしEUとの関係は一段と難しくなっている。EUは7月21日、新型コロナウィルス感染で大きなダメージを受けたイタリア、スペインなど元々財政事情が悪い国に対する支援を狙いとする総額7,500億ユーロに及ぶ復興基金の創設に合意した。ユーロの分裂を恐れた独仏首脳の英断でもあるが、当面、EUは加盟国の団結を第一にして内向きにならざるを得ない。 すなわち、EU諸国の政治的エネルギーと財政資源は、富裕な北部(独、ベルギー、デンマーク等)と貧しい南部(イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャ)の経済的緊張を緩和することに使われる。さらにポーランド、ハンガリーなど東欧、中欧諸国のポピュリズム政権との政治的緊張にも資源を割かねばならない。英国-EU間で新しい関係を構築するという創造的で柔軟な外交経済関係を構築しようという機運は今後ますます乏しくなっていこう。 またEU離脱となっても国際金融センターたるシティ(ロンドンの金融街)の権益を守りたい英国ではあるが、新型コロナウィルスの襲来以降、各国金融当局は規制強化と反グローバライゼーションに向かっている。しかも独仏当局はもともとシティの金融取引をフランクフルトやパリに移したがっていたわけで、ますますシティに対する風当たりを強めるであろう。 これに加えて、中国が1997年まで英国領であった香港に国家安全法を導入した。これで香港の自治と民主主義を尊重する「一国二制度」が危うくなった。これに対抗してジョンソン政権は香港居住者300万人に英国市民権取得の道を拓いた。さらに追加的に7月20日には香港との逃亡犯条例を停止した。香港に例えば政治的逃亡犯を引き渡せば、そのまま中国に移送される危険が増したからだ。 かつてキャメロン政権時には習近平を国賓として招き、バッキンガム宮殿に宿泊させた(あとでエリザベス女王から傍若無人ぶりを揶揄された)。中国に原子力発電所を建設してもらう一方で中国が設立構想を示したAIIB(アジアインフラ投資銀行)にはG7諸国で真っ先に出資を表明している。 しかし、このような親中姿勢は全くの過去のものになり、いまは英中関係の悪化が過去にないペースで進んでいる。さらに中国のファーウェイ(華為技術)に対しては、これまでの方針を一変させて米国の要望を受け入れる形で新通信規格である5Gの携帯ネットワークへの参入を禁止した。当然、中国は貿易面等での報復措置を匂わせている。 ロシアとの関係も2018年3月、ロシアの元二重スパイと娘に対する神経剤投与でテレサ・メイ政権が在英外交官追放をおこなった事件以来、悪化を続けている。さらにトランプ米大統領がG7にロシアを招聘するとの考えにも反対の意を表明した。英国情報機関は2014年のスコットランド離脱を問う住民投票、2016年のEU離脱に関する国民投票、昨年の総選挙にロシアが介入している証拠を示すものとみられる。 スコットランドは2014年の住民投票では55:45で残留派が独立派を上回ったが、2016年の国民投票ではEUとの経済関係が深いスコットランドでは残留派が上回った。英国のEU離脱を契機に、独立を訴えるスコットランド国民党(SNP)が再び英国からの独立を問う住民投票の実施を訴えていたが、実施の是非を決する英国議会に否決された。 その後の新型コロナウィルスの感染防止対策ではスコットランドでもジョンソン首相非難が強まる一方で、スコットランド自治政府のスタージョン首相(SNP党首)のコロナ対策が適時適切であったと独立反対派ですら賞賛している。 こうした状況の下で、来年5月に予定されるスコットランド議会の総選挙ではSNPなど独立派が多数を占めるとみられる。これもジョンソン首相にとっては頭の痛い問題である。 以上に述べたようにEU、中国、ロシア、スコットランドとの関係で英国にとって良きところは何もない。全く貿易がなくなるわけでもないとはいえ、EUや中国との貿易は減っていくのは間違いあるまいと思われる。 「特別な関係」を築いてきた米国も保護貿易主義、自国第一主義に陥っており、英国が願望するほどFTAの締結は容易ではない。英国の健康保険制度(NHS)における米国医薬品メーカーの参入や競争力の高い米国産畜産物、農産物への市場開放を迫ってくるであろう。
俵 一郎 (国際金融専門家)