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材木王の大提灯あった 金沢出身の豪商・平沢嘉太郎寄贈か

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北國新聞社

 戦前の内灘砂丘地に粟ケ崎遊園を開いた金沢出身の豪商、平沢嘉太郎が地元の下今町(しもいままち)(現・尾張町1丁目)に寄贈したとみられる大提(ちょう)灯(ちん)が4日までに、同町内で見つかった。約100年前の品ながら傷みもなく、色鮮やかな絵柄が「北陸の材木王」の栄華を今に伝える。平沢ゆかりの品は県内にほとんど残っておらず、所有者は希少な資料として内灘町に寄贈したい考えだ。

 提灯は、下今町町会が倉庫の整理と不用品の処分をしていた中で見つかった。関係者が、同町で生まれ育ち、石川ゆかりの資料を集める「金澤ふるさと倶楽部」代表の伊藤正宏さん(73)=神宮寺1丁目=に相談し、伊藤さんが引き取ることになった。

 提灯の納まった木箱には「下今町共有」とあり、「第貳號(二号)」の墨書から分かるように、幾つか作られたうちの一つとみられる。本体は直径38センチ、蛇腹を広げた高さは1メートル。真ん中に「奉燈」の文字、反対の面に真っ赤な日の丸があしらわれている。上部に菊花、下部には鮮やかな青で波模様を描く。

 平沢との関連が浮かび上がったのは、箱のふたの裏面に鉛筆で書かれた「平沢」の2文字だ。平沢は昭和初期まで下今町に住んでおり、内灘町文化財保護審議会長、竹田菊夫さん(77)=同町緑台1丁目=は「神社などの祭り用として平沢が地元に寄贈した可能性が高い」と結論づけた。

 箱や本体に年月の記載はないが、竹田さんは平沢の材木業が最も栄えた大正期前後に寄贈されたとみている。屋外に飾られた提灯を見た記憶のある住民はおらず、戦後は倉庫にしまわれたままだったようだ。

 竹田さんによると、平沢ゆかりの品は経営した製材会社の案内や引き札などほんの数点が伝わるのみ。粟ケ崎遊園が「北陸の宝塚」とうたわれ、数々の資料が残るのに対し、創設者の生涯を物語る資料は極めて少ない。

 7月下旬、伊藤さんと竹田さんは内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」で提灯のつくりや細部をあらためて確認した。伊藤さんは「粟ケ崎遊園を紹介し平沢の功績を顕彰するこの場こそ、提灯を飾るのにふさわしいのではないか」と述べた。内灘町には寄贈の意向を伝えており、今後協議を進める。

北國新聞社