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夫婦で作ったレストラン 震災は乗り越えたが離婚で閉店

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日経ARIA

子どもの頃に抱いた憧れや夢は、大人になるにつれて現実との摩擦によって消えてしまうことが多い。幼い日に「スチュワーデスさんになりたい」と目をキラキラさせた少女が、48歳でその夢をかなえたとしたら、そこにはどんな物語があるのだろう。現在LCCの航空会社でキャビンアテンダントとして勤務する河野恭子さん(54)は、瞳を輝かせながら現れた。 【関連画像】生活を立て直すために、営業再開に向けた河野さんの行動は早かった。新しい冠三宝にて、マダム時代の河野さん (上)夫婦で作ったレストラン 震災は乗り越えたが離婚で閉店 ←今回はココ (下)48歳で挑戦したCAへの道 夢は持ち続ければかなう  河野さんは神戸市生まれの芦屋育ち。3歳から続けてきたクラシックバレエが大好きで何不自由なく育った。子どもの頃からの夢はバレリーナになって「白鳥の湖」を踊ることと、キャビンアテンダント(CA)になること。大学卒業後は国内航空会社に就職した。  「本当はCAになりたかったのですが、当時の応募資格に身長が少し足りなくて、応募すらできませんでした。それでも飛行機に関わる仕事がしたくて。航空会社の大阪支店で予約管理の仕事をしていました」  好きな業界で仕事に打ち込んでいた河野さんの人生は、結婚を機に大きく方向転換する。  「夫との出会いは、学生時代にアルバイトしていた中国料理店です。神戸の山の手エリアである岡本にある老舗で、子どもの頃から家族でよく利用していたため、両親もなじみの店。ここなら悪い虫がつかないだろうとアルバイトを許してくれたのですが、ついちゃったんですね(笑)」

どこにもないレストランをつくりたい

 「料理人だった9歳年上の彼の第1印象は、おいしい賄いを作ってくれる人です。とにかく、料理が抜群においしくて、正直、これまでの人生で彼の作る料理以上においしい中国料理にはいまだ出合えていません」  5年間の交際を経て24歳で結婚。河野さんは航空会社の仕事を続け、夫は腕を見込まれて当時の新神戸オリエンタルホテルのレストランで料理長を任されて忙しい日々を送りながら、独立、開業を目指していた。  「結婚するときに、家を買うか、お店を持つかどっちがいい? って聞かれたんです。私は『お店』と即答しました。家を建てたらそれまでだけど、お店を持てば頑張って家も買えるでしょ? と」  店舗の物件探しや契約、広告の手配やアルバイトの教育、備品の手配やインテリア、メニューの作成など、厨房以外の開店準備は河野さんが一手に引き受けた。1994年5月、27歳のときに念願の中国料理レストラン「冠三宝」を開業、航空会社を退職し、河野さんはマダムとして接客の要を担った。  お店のコンセプトは、河野さんのたっての希望でワインを楽しめる中国料理レストランにしようと決めた。「いわゆる町中華ではない、フレンチレストランのような雰囲気で、料理とワインの組み合わせを楽しめる、どこにもない店にしたかったんです」  当時はまだ珍しかったコンセプトは話題になる。開店してすぐ、関西で最も信頼を集めるグルメ雑誌『あまから手帖』や、『Hanako』に取り上げられたこともあって、瞬く間に人気店となり、経営は順調な滑り出しとなった。  河野さんは夫と共に寝る間も惜しんで働きながらも、休みの日にはバレエのレッスンも続ける充実した日々を過ごしていた。しかし、開店からわずか8カ月後、状況は一変する。

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